スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

アンコール恐怖症

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


イベントなどでよく求められるアンコールというもの。盛り上がった際に最後にもう1回という意味で観客の歓声とともに求められるものだが、あの仕組みがイマイチわからない。

アンコールはおまけのような存在だが、結局アンコールも含めて開催時間内に終わるわけで、だとすれば、最初からもう1部追加でメニューを用意しておけばいいんじゃないかなと思ったりもする。

こういうことをいえば必ず集団からは叩かれるわけだが、実際のアンコール信者はどう思っているのか気になるところ。決してアンコールで盛り上がることを否定しているわけでも批判しているわけでもないけれど、わかりきっているのにあたかもその場でもう1本パフォーマンスが急遽追加されたかのように芝居し、周りがそれに乗っかる一連の動作に、式典のような茶番性を感じてしまう。もしかしたら世の中はすべて茶番で、人々も茶番を本物と思うことを陶酔手段としているのだろうか。

以前、ある芸能人が、恋愛ドラマが現実と乖離していることについての批判を受け、それに対し「お客さんは現実ではなく夢を見に来ているんだ」と説明していたが、まさにそういうことなのかもしれない。出来レースでも、それを夢ととらえてその中に酔いしれていたいという人々の夢、欲望を体現したものなのかもしれない。それに乗っかることのできない人間は排除の対象になっても仕方がないという感じなのだろう。

学校行事をはじめとする各イベントやオリンピックでもそうだが、美化することが正義であり、それに無批判に追従す ることがよしとされる風潮がある。オリンピックボランティアに懸念を示すツイートに対し相当数の感情バッシングが集まっていたことも記憶に新しい。この社会で生きる以上は、「空気が読めない、盛り上がれない、白ける」などと言われないように、きちんとアンコールの掛け声に合わせて盛り上がっていこうと思う。