スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

「何となく」は怖い

何かが違うと言う理由で相手に別れを告げられた知人がいる。ある日突然「なんか違和感があるんだよね。別れて。」と言われたらしい。原因や理由を尋ねても、ひたすら違和感を伝えられるのみだったと言う。気の毒なものだなという感想がひたすら沸き起こったのだが、それ以上に予測不能な人間関係の終焉に少し恐怖を感じている。私はこの相談者とその交際相手の両方を知っているのだが、二人はとても仲が良く、信頼関係も出来ているようにしか見えず、何が破綻理由になったかが全くわからなかった。そして一方的に別れを切り出され、受け手は何が起こっているのかわからない状態であり、どうやら相手も特別な嫌悪感から別れを切り出して来たわけではないと言う。違和感というものが一体何なのか、ずっと考えていた。別れるほどの違和感とは何だろう。

ふと思う。複数以上の集団で、理由もなく特定の人間が自分だけに冷たい時がないだろうか。自分だけに素っ気ない。同じ話をしても自分だけに嫌味な態度を取ってくる。何となく、相手の不機嫌の発散が自分に向いている。こういうときがないだろうか。私はこれまでの人生で何度か経験しており、友人などの他人からだけではなく、身内からもそういう態度を取られたことがある。機嫌が悪いのは誰のせいでもないのに、なぜか私だけに変な当たり方をしてくるパターンだ。そう言う時はひたすら相手に関わらないようにして来たが、家族となるとそうもいかないので自室にこもるようにしていた。実は私のパートナーからもこれをされたことがある。集団で談笑する際に私にだけ冷たい感じだ。相手の友人の輪に私が加わったのだが、その際に私に対して冷たい態度を取って来た。だから二人で共通の知人を作らないほうがいいのだろうという学習をしている。最も親しい関係でありながらも、相手に時として生理的嫌悪感を覚えてしまうと言うことだろうか。私は特定の誰かが憎くなったりすることがないのでわからないが、今回の見捨てられ騒動もこれに似た現象なのかもしれない。

人はどんな関係でも感情がある以上不安定だ。人工知能なら人間臭い意地悪な心も生じないが、残念ながらこの世界を牛耳っているのはまだ人間だから、こうした生理的嫌悪感、本能的感情行動の犠牲者は出続けるだろう。好き嫌いと善悪の区別さえできない大人が無数に存在する社会なので、子供もいじめをやめることができない。あらゆる関係において感情行動が喜怒哀楽と共鳴して新しい悲劇を拡大再生産し続ける。今回の知人男女の破綻も、当事者たちはまた別の関係で同じトラブルを起こすのではないかと思う。労働と同じで、男女関係も人々をそれに依存させる。年中病んでいるのにその原因になっている恋愛をやめないという依存症、人生がつまらないといいながら子供を設ける夫婦も同様。不幸の連鎖とはいわないにしても、不満や愚痴の連鎖と反復が好きな人は少なくない。愚痴が快楽なら話は別だが、それでしか心が満たされないのだとしたら、もっと人間を諦めてドライに事物を捉えた方が楽だと思うのだが、そういうことを現実世界で口にすれば、それこそ、世間から「何かが違う」という動機で袋叩きにされてしまう。何となくほど怖いものはない。