スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

過剰防衛の是非

職場でハラスメントを受けた人間がその報復としてハラスメント上司を殺害する事件が話題だ。以前にも介護施設で類似の事件が発生し、社会的注目度が高かったが、結局何日、何週間か経過したのちに風化し、今回もあたかもそれが特殊事例かのごとく報道されている。実際に、パワハラへの報復攻撃として被害者が加害者に致命傷を与えるケースはどれくらいあるのだろう。正確な数値には到底たどり着けないし、この記事を書いている時点でそれらについての調査を並行しているわけではないのでわからないが、致死ではないものを対象とすればそこそこ件数はあるのではないかと思うが、どうだろうか。

と問いかけを勝手にしてみたものの、恐らくその件数は少ないのだろうと思う。これだけ自殺が多くても被害者が自殺する際に周囲の人間や加害者を巻き添えにするような報復行為・攻撃行為はほとんど見られないし、加害者に対するヘイト感情がそこまで持続しているのかさえ怪しい。憎しみではなく悲しみが感情の大部分を占めるようになっているのかもしれない。知人友人にいじめやハラスメントの後遺症を背負った人物が何人かいるが、いずれも加害者に死んでほしいなどという報復感情を仄めかすようなことをいわず、自らの弱さを自責しているケースが多い。私は先制攻撃を行った側が無条件に悪であるという偏った思想を持っているので、ハラスメントや虐待行為を仕掛けた側の人間は殺されても仕方がないと思っているし、他者への侵略行為は自らが破滅のリスクを背負ったうえで行うべきだと思っている。今回の事件を正当化するわけではないが、そもそもハラスメントやいじめなどという濃密な人間関係を持たずにドライに関わればこんな惨劇は起きなかったわけで、結局は閉鎖空間における固定的な人間関係があらゆる惨劇の元凶であると思わざるを得ない。

いじめられた経験はほぼないが、私はからかわれやすい人間だったので、いわゆる「冷やかし」の度の過ぎた行為をされたことが何度かある。悪ふざけレベルではあるが、暴力を振るわれたこともある。ある日遊具の上からふざけて唾を吐かれたことがあり、遊具を思い切り揺らして地面に突き落としたことがある。教員は双方に非があると説教したが、私は一貫して自分の非を認めず、先制攻撃を行った、あるいは常習的に嫌がらせを行った相手に非があると主張し、それらのストレスをため込んで一気に報復攻撃として発散したことは合理的だと主張した。そして最後に教員が和解させようと試みた際にも私は和解を拒み、相手の人間性の欠如を理由に一切の許容を行わないことを主張した。長い説教の末私の心の狭さのせいにされそうになったので、今後一切挑発を行わないこと、同様の行為が繰り返される場合には今回以上の報復攻撃を行うことを条件にその場は和解することになった。それ以降嫌がらせ行為は一切なくなったが、結局私は空気が読めない、ピエロを演じられないつまらない人間であるというレッテルを貼られ、結局別の同級生が冷やかされ役を買うことになり、そのお調子者の言動が変わることはなかった。私に対する「あいつは冷やかしが通じない」という共通認識が発生しただけで、根本的なことは一切解決しなかった。それでも教員は問題が起こってから和解させる方法に固執し、卒業まで誰かしらが苦い思いをする雰囲気は続いた。

今となってはガキの喧嘩では済まないので決定打になる報復攻撃をすることは不可能だが、ハラスメント上司などに対しては心の底から死んでほしいと思っているし、死んだら仏が通用しない人間は労働現場に無数に存在する。とはいえ、自身が捨て身になってすべてに迎撃していたら、周囲の人間に迷惑がかかるのでしないということだ。その点は、天涯孤独ではないことがこうした危険行動の最後の防波堤になっているといえる。ただ、自殺するくらい追い込まれていながらも相手に何も報復できないというのは、その構造や実態を理解してはいるものの、ちょっともどかしい思いではある。過剰防衛に関する是非は賛否両論で、荒れる話題なのでオンライン・オフラインともに触れにくい話題だが、人間の喜怒哀楽を害悪と捉えている私からすれば、過剰防衛が発生するような先制攻撃を行う主体の消失を望む以外にコメントのしようがないところだ。