スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

レポート出せなかった君へ

http://blog.livedoor.jp/yahata127/archives/51536608.html

たまたまネットで見かけたもの。全然私には当事者性がないのに、とても考えさせられる記事だった。こういう展開になったときに、私が指導者だったらどうするだろうかと考えることがある。私は教員でも研究者でもないので、人を指導する機会はほぼないが、誰かに何かを問われ、教えてほしいといわれたときや、頼みごとをして提出物を受け取った際に、どういったレスポンスを発信すればよいのか、考えることがある。

物理的に不可能だが、理想は、もし出来の悪いレポートが出されたとしてもそれを徹底的に添削することなのかなと思う。20点の答案を出してきた人物が、本当に一生懸命頑張って20点だったとしても、やる気がなくて20点だったとしても、とりあえずそれをどうやったらできるだけ100点に近づけることができるかについて、評価する側が加筆し、コメントなどを材料に書き手に返事をするスタイルをとれば、もしかしたらやる気が出るかもしれないし、本当に苦悩の中に学生がいたとすれば、それが救済になることもある。裏切られることもあるだろうし悪意のある学生もいるが、それは自分自身が教え方の勉強をする機会を得たと思えば生産性のある時間にできる。

というのが実態を度外視した理想だが、現実はそうもいかないし教員、学生の双方に余裕がないから、最適解に至らずに悲しい結末を辿ってしまうことがある。教授のパワハラなど問題外の事件は置いておくとして、繊細な人への指導方法がきつすぎる教員というのは存在する。「学生を指名するのが好き」「授業中に音読や発表をさせるのが好き」「ネチネチ追及するのが好き」「好き嫌いが激しい」タイプの教員は要注意。かなり辛辣な物言いをするし、好き嫌いが人物評価に反映されていることが多い。ストイックな教員ほどどこかでガス抜きを行っており、その矛先がこうした自殺するタイプの学生に向く可能性は十分に考えられる。

人が人を評価することには限界があると思っているし、そういう意味では、センター試験のような客観式試験が最後のセーフティネットになると思っているのだが、学業の世界も全面的に「人が人を評価する世界」になる模様。人に過剰な権力を持たせるとどんなリスクがあるかを大学や労働現場で痛感しているので、果たしてこれからの学生に、特に自殺してしまうようなタイプの学生に、どんな壁が待っているのか、自分には関係ないと思わずに、注視していくつもり。