スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

正義の不戦勝

勝ち負けは必要かという疑問がふと湧く。私がスポーツに関心がなくそれらについて自ら参加しようとしてこなかった要因の一つかもしれない。相手を定めて勝った負けただの強い弱いだのこだわることに昔から関心がなかった。団体行動が好きではなかったので、いわゆる勝敗にこだわっていた場面は専ら学力試験だったのだが、勝敗に対するこだわりは特になく、あったとしても周囲に煽られただけで大学入学時にはほぼ冷めていたように思う。

勝敗にこだわりがないスタンスのため、受験の合否も比較的どうでもよくて、どれくらいの実力がついたかを数字で確認し、実際にどんなことが身についたかが重要で、それを誰かと競ったり勝った負けたと一喜一憂する道具にすることにあまり関心を持たなかった。例えば数学の偏差値が70で、苦手分野はここで、どれくらい身についているか、理解できているかなどはデータを見ながら気にしていたが、数学が誰誰よりも得意だとか、○○大学に合格できるかとかそういうことはどうでもよかった。

こうした勝負欲に欠けているので、過去問研究などはちっともしなかった。それが原因で不合格になった大学もあったり、興味のないことは一切やらないという怠惰な姿勢によって行きたい学科・専攻にいけなくなってしまったというアクシデントも発生したものの、なんとか学士を取得するくらいの勉強はできた。もちろん学歴には興味がない。

勝敗や序列にこだわることは今後もないだろうと思う。そういうことで自身が満足するわけでもないし、特に誰かに勝たなくても楽しく生きていけるからだ。他人ありきの満足は自分の満足ではないと思っている。ましてや相手を敗北させることでしか得られない勝利など、何の価値もないと思っている。まるでスポーツの世界を全否定しているようだが、私のスポーツ界に対する考えはここまで書いた通りだ。同じような考えを労働や世間に対しても持っているので、社会不適合者といわれてしまうわけである。