スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

先延ばしが習慣化

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


私は表面的には環境を変えたり何かをやりたいという動機で様々なことに挑戦してきたが、実際は底の見えない将来の不安から自分を解放することに必死になっていただけだ。向上心の欠片もないでのある。それなのに周囲は私を努力家だと勘違いし、真面目で向上心のある人間だと勘違いしているのだ。私も本音を打ち明けるのが段々面倒になり、嘘をついて適当に合わせてきた。前向きな姿勢は昔はあったし、今でも何か他人のために頑張ることはできるわけだが、どうしても自分自身の社会的地位や自己満足のために貪欲になることができなくなってしまった。

原因は不明だが、長年心の中に潜んでいた絶望感が湧き出るように形を見せてきたのかもしれない。適当に返事をして人が満足するのを見て安堵する癖は本当に厄介で、一度染み付いてしまうとなかなか戻せない。本当に取り返しの付かない所まで来てしまった。周囲から優しくて真面目で前向きだと言われるのを聴くたびに、開き直りに近いどうしようもなさ、手遅れ感を覚える。本当は面倒な人生のリスクを少しでもなくしたいだけの怠け者なのだ。経歴だけ無難にここまで作っておきながら、気持ちがまったくついてきてないどうしようもない人間である。

だいたい進学や就職になると新しい出会いに期待するものだと思うが、私は職場の人間関係への懸念で既に気が重い。だが、そんな誤魔化しや嘘もいつまでも通用するわけではない。今までは架空の友人を何人も設定し、1人でのんびり過ごす時間も含めて友人との時間ということにすれば、少なくとも周囲には普通に学生生活を楽しんでいるようにみえるだろう。すでに送ってもほとんど誰からも返ってこない年賀状のやりとりの少なさや成人式の欠席、同窓会の欠席などで交友関係の現状は親を始め周囲の人間に把握されている可能性もあるが、今のところは普通にここまで楽しく過ごしているとも思われているかもしれない。

だが、今後は状況が異なる。過去にも言われているが、就職してしまえば次の周囲の関心は結婚だ。結婚といえば結婚式、私が苦手中の苦手とする式典であるが、式典云々よりも「呼ぶ人がいない」という深刻な問題に直面する。呼ぶ人がいない事自体は別に問題ないのだが、周囲にその状態がバレてしまうのはまずいだろう。さすがにこれまで色々な友達と関わってきていることも知っているし、なぜその人達が誰も来ないのか、周囲も不思議に思うはずだ。この展開が今から恐ろしくて仕方ない。今はSNSなどで同級生同士がつながっているとの情報もあるし、そういうものに抵抗があると本当に孤独になってしまうのかもしれない。

先日も知人にフェイスブックのページを見せてもらったが、高校・大学の同級生同士のネットワークもかなり広いものになっていた。ブランクのある自分が参加する余地もないだろうし、こういう広域の人脈があるからこそ、ネット社会になってもイベントなどで人が集まるのだろうとも思う。悲しいことかもしれないが、今は私のような孤独な人間が増えてきているのか、知人を装うサービスなどもあるらしい。いつまで誤魔化すことができるだろうか。