スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

偽自由

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


若年者の地方移住の動きが加速しているという話を聞いた。経済的な理由で移住までに至らなくとも、地方に積極的に関わったり地方を頻繁に訪問したり、情報収集や地域の人と関わったりする人が増えているとのこと。ただ、経済と雇用の関係でどうしても都市にとどまる人が一定数いることは確かだそう。

地方移住の問題は都市の限界や都市部への人口集中、地域格差などの問題を解消するといわれている。この問題にベーシックインカムがかなり効果的であるように個人的に思う。人間は金の心配を基本にして毎日生きている。無限の金を手に入れれば今の仕事をやめたいと思う人は少なくないだろうし、やりがいや社会貢献などといった文句は単なる搾取で、本当は苦しい人生よりも楽しい人生を送りたいに決まっている。その証拠に、多くの重労働は機械化され、人間がその荷重から解放された。

一方で、労働と賃金にしがみつく、それを唯一の生活の糧とみなす考えは依然として根強く、これだけ仕事が淘汰されても「働く」ことと「生きる」ことが同値とみなされる。働かない人間は人間ではないというような言説が、特に低所得者に対してほど流れやすく、資産家の遊び人や議員は「セレブ」などと揶揄されるにとどまるが、生活保護や自殺者に対する世間の目は厳しい。

民主主義と資本主義をうたっているものの、精神は全体主義であり、民主主義の精神からは程遠い。日本の場合、労働党の独裁のようなものであり、労働のために移住、労働のために時間創出、労働のための消費、すべてが労働のために存在するといっていいほど、労働が中心だ。賃金で存在そのものが拘束されているからだ。そこから逸脱することを相互に許さない社会だ。

賃金が人間を拘束する前提が崩れれば、そこに真の民主主義があると思う。労働崇拝のために維持された不要な労働は淘汰され、不要な公共事業や団体は淘汰され、もしかしたら消滅する田舎があるかもしれない。ただ、それは都市も同じで、金の不安がなくなれば、好きな場所で好きな活動(労働も含め)ができるようになるので、地域によっては過疎地や田舎でも人を集めることができるだろう。金の不安から都市と労働、満員電車にしがみついてイライラしている人々は、金の不安がなくなれば逆の行動を起こす可能性もある。

高度成長期は特殊な時代であり、恵まれていたからこそ、画一的な価値観に染まり、消費や流行に価値が置かれ、その手段として労働が絶対的な権力を持っていた。それが崩れた今は、確かに悲惨な時代だが、本音で生きることができる自由度の高さでいえば、マシな時代かもしれない。