スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

小学校はなくなった

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


小学校の時は「地元の付き合いは一生もの」といわれ、中高の時は「中高の友達は一生もの」といわれたが、果たしてそうだろうか。小学校などまだ精神が未発達であり、物心さえもついているかどうか怪しい(科学的にはついているけれども判断能力が著しくゼロに近いため)。

しかも生きることについて語り合ったり人格を互いに理解した付き合い方など到底していないので、地元にいたとしても、何か交流が生まれることは必ずしも起こらない。中高時代も同様で、確かに共有していた時間は長いけれども、共有していた話題や社会環境はあまりに限定的であって、自分自身の本質を相手に開示するにはほど遠い関係しか築くことができていない。

だから大学以降に急激に疎遠になってしまったり、労働者になってからふとしたきっかけで意気投合した人間の方が遥かに親しくなったりするのだろう。過去に親しかった人間とは、多くのことを喋っているように見えるけれども、実は「大して何も意思疎通していない」のではないだろうか、とふと思う。