スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

幸福とは何かと聞かれたので

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


人間にとっての幸せは主観的な問題であり、定義することが極めて困難である。したがって、比較的定義が容易な不幸せについて考え、不幸せの逆が成立する状態を、最小限の共通認識としての幸せと定義することにする。以下に不幸せを発生させる状態を三点挙げ、不幸せであるときに下記①②③が成立することの待遇として、下記が成立しない状態を幸せと定義する。不幸せの条件は次のとおりである。

第一に、他者への期待が挙げられる。人間にとっての不幸を考えた際に、最もスケールの大きい不幸は戦争であろう。戦争は災害の中でも極めて悲惨な部類であり、その犠牲者や経済的損失、自然環境への影響を考えたとき、比較にならないほどの苦悩を世界に与える。戦争は人間と人間の対立が発端となっており、特定の集団と集団が対立を起こすための道具として、宗教や経済や人種、文化などが用いられる。これらが本来の意味や差異について理解や議論の対象となることは稀であり、専ら対立構造の骨組みとして感情に訴える形でしか作用しない。根本的な対立の動機は、自分自身の価値観に他者を服従させることで、自分自身を正当化したいというものだろう。生物学的に人間は各々が異なる個体であり、他人と自分が根本的に違う生き物であるという自覚を持つことは極めて自然なことなのだが、共同体を形成して生きる人間は、部分的に共通する人間同士の人格や性質に過剰に期待する傾向がある。自己の内面を他者に理解されたい気持ちや、自分の主張を社会に認容させたい気持ちは、こうした期待から生み出される欲望であり、その欲望が論理的に実現不可能なものであることが自明でありながらも、自己を主軸とした「連帯」を構成することを求める。そして、自分自身が生み出した期待が完璧に叶う状態を「理想」としてイメージし、いつしか「理想」がかなうことが思考のスタンダードとなっているのだ。だから、人間は小さなことでも不満を感じ、欲張りな自己主張を繰り返すのである。不合理な自己主張は対立や衝突を生み、それらが最も悲惨な形で現れたものが戦争であろう。しかし、このような人間の思考回路は通常の人間関係でも頻繁にみられ、口喧嘩から犯罪まで、あらゆる人間同士の対立が「自己と他者の差異や境界線を受容できない苛立ち」を基盤としている。過度な他者への期待は悲惨な結末をもたらしかねない。

第二に、物事の比較が挙げられる。人間は自己と他者を比較したり、他者同士を比較したりする生き物であり、物事の優劣が気になって仕方がない生き物である。自己の優位性を示すことは人間の基本的な欲望であり、前項の他者への期待も、自分自身の世界観に他人を迎合させることで主従関係を形成したい人間の欲の塊である。比較が不幸を生み出す理由は、比較には終わりがないからだ。特定の項目についての優劣を定義する垂直的な比較について考えると、頭脳や体力や芸術的センスがあげられるが、その能力の上限は無限であり、次々と才能を発揮する人間は現れ、最強と称される状態を不変のものとすることは不可能に近い。また、多様性の程度を定義する水平的な比較についても、あるとあらゆる能力についての万全な状態を得るためには人間の一生では時間が足りない。つまり、キリがないのである。スケールの小さな比較についても同様であり、小さな勝ち負けを微調整することに執着していると、長期的な人生計画を狂わせたり、一つのことだけに拘泥することは精神衛生上好ましいとはいえないだろう。優劣意識は嫉妬を生み、嫉妬は自己卑下や攻撃性、不要な批判精神を再生産し、勝敗の有無に関わらず自己肯定感の喪失を招く。比較ばかりされて育った子供は自己肯定感の欠乏により成人以降に心理的後遺症を残しやすい。「~の方が」で始まる会話に不協和を感じることはあっても、建設性を感じることは難しい。

第三に、他者への干渉である。SNSの普及により人間関係の延長戦が勤務時間外や放課後に行われるようになり、更には著名人と一般人の間の意思疎通が可能になった結果、常に他人の意思表示や情報発信に着目することが可能となった。それは情報社会の発展という意味では大きな現代の発展であるが、一方で、相互干渉を基調とする村社会が全世界的に形成されたといっても過言ではない。誰がどこでいつ何をしたという情報がリアルタイムで更新され、あらゆる思想や行動について、自ら表現できるようになった反面、それについて常に他人の目を気にしなければならないようになったことも事実である。集団に属することで自らが社会的に認知され、大衆に迎合しなければ孤立してしまうという暗黙の了解が多くの大衆の不安を煽り、相互に相手を干渉し、同じ目線、同じイデオロギーで生きることを強要するようになった。人間とは本来、何ら共通する構造を持たない個々の人格であるにも関わらず、横並びに同じ価値観を共有し、虚構の理想に支配された虚像の中に役者として生きることを強要されるようになった。陰口が絶えない組織における一体感や絆の共有、いじめがあったけれども卒業式では涙を流して皆仲間だと宣誓する崩壊学級、社員の自殺が絶えないブラック企業の社会貢献宣言…いずれも虚像を妄信する人間たちの相互干渉社会の末路である。

以上の三点から解放された時、人間は幸福を獲得するのではないだろうか。