スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

俺とBIの歴史

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

ベーシックインカムが施行されたら、労働から解放されるというのはあるが、実際はそれ以上に年功序列から解放される、マウンティングから解放される、結局のところは人間から解放されるというのが最大の救済ではないかと思っている。労働社会の実態は、年功序列社会、現代の奴隷制・身分制といってよい。地位や身分が確定しており、それに忠実に従うことが求められる。忖度は政治だけではなく普通の人間関係でも発生し、曖昧な指示に対して的確な答えを出さないと罵倒されるのは会社でも普通に起こりうることだ。たった1年年次が違うだけで王様と奴隷のような関係が構築され、本来の権限とは別次元の上下関係に拘束される。広報誌には脂ぎったメタボのおっさんたちがどや顔で 挨拶する写真が掲載され、どこを見てもオッサン

オッサン・オッサン、まるでこの世はオッサンでできているかのようだ。ジジイが我が物顔で社会を牛耳るスタイルは年功序列によってのみ担保されていると思われる。衣食住を企業や経済界に依存しない状況ができれば、つまり会社に依存する必要がなければ、私たちはこの「ジジイ」という権力に対して服従を続けるだろうか。おそらくしないだろう。

賃金を掌握されているから蔓延する年長者の横暴に耐えているだけであり、たとえば手元に億単位の金があれば、私は上司の雑談に返事を返すことすらしないだろう。結局のところ、ベーシックインカムを導入してほしい理由はそこにあるのかもしれない。学校もそうだ。根拠もなく同級生に対して威張 り散らす輩がどこのクラスにもいるが、そんな奴にイチイチ構う筋合いは誰にもないのだ。仕方なくそれに付き合ってそいつの横暴を許すのは、自分が学校に通い続けなければならないからであり、学校に通い続けなければならないのはいずれ会社に入らなければならないからだ。

学校という組織、会社という組織に依存しなくても生きていけるのであれば、固定化された集団の中で変な奴との人間関係に付き合わされることもない。おかしいと思ったら関わるのをやめればいいわけだからである。どこの世界でもマウンティングする人間はいる。マウンティングタイプの人間はベーシックインカム人工知能の発達とそれらによる人間社会の支配を拒絶するだろう。一方で私はこうした人間臭い人間による支配が終 焉を迎え、機械が無感情に物事を最適化し、人間を人間から解放してくれることを慈悲と捉え始めている。