スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

ベーシックインカムと退職決意

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

成長経済を生きてきた人、またはそれの恩恵を受けてある程度以上裕福な人の話を聞いていると、その多くが「労働」を社会の中心に据えた全体主義的な考え方をしていることがわかる。社会の歯車になることで生活費を受け取り、それをやりくりして生存を守り、代々継承していくスタイルが未来永劫のものであるかの如く語る人が多い。だからこそ、この世代の人々はベーシックインカムに反対するのであり、若者を批判するのであり、趣味に奔走する人を蔑むのであり、生活・生計に寄与しない活動を無価値だと断定するのだろう。

この人たちの考えでは、高度成長期の核家族のモデルを続けていくことが正解とされ、その中心は男性のシングルインカムであるという考えが一般的だ。だから女性の学力は一定以上不要であると捉える男性はまだまだ多いし、女性中心の育児と男女分業の考えが根強い。正社員でない男性に対する眼差しは冷たいものであり、世代の存続のために世帯を持つことを第一の評価基準に置く。そこから逸れた男性は落伍者とされ、無根拠な垂直評価が無批判に受け入れられる。

バブル世代以前は自らが異常な成長社会を経験しているからか、当該時期の社会常識が永続すると思っている。せいぜい戦後数十年しか続かなかった右肩上がり経済や特定の条件下でしか機能しなかった国の産業力を過信している。後進国への蔑視と自国民への過大評価も目立つ。自分たちの時代は正しく、それが循環することが正義だと確信しているがゆえ、出生率の低下を必要以上に気にするし、世間体も気にする。人生の価値基準の中心が労働社会であり、社会の中で勝者であることに異常なほど執着する。勝利依存症とでもいえるだろうか。

彼らが新技術の普及や後進国の台頭をよく思わない原因がそこにあると思われる。負けが確定しているこの国の行く末を素直に受け入れることができないから、外国を叩くことで心の体裁を保つ。理想と現実のギャップが大きく、満たされているのに不機嫌な人が多い。変化を経た今の時代よりも自分たちが経験してきた時代の方が優位だと思い込みたいがゆえ、減点評価が習慣になっているのだ。

破綻した労働システム、人間中心の社会、国内が豊かである状態を維持したいがため、不満を言ってでもそれら循環にしがみつく。ベーシックインカムを受け入れずストレスをためながら労働奴隷を続け、人口減少を受け入れず世間体のために結婚し夫婦生活を破綻させるなど、自己正当化のための本末転倒な行動によって負の生産をしていることに無自覚だ。結局は成長を共有した団塊世代側に加担し、ひたすら前例踏襲を志す。

たかが30年や40年の環境がなぜ永続すると思うのだろうか。インターネットの普及で世界が変わり、これだけ多くの社会インフラが世代交代しているにも関わらず、いまだに無意味な名誉ごっこやマウンティング、年功序列による茶番が繰り返される。仕事もないのに雇用にしがみつき、自殺者や鬱病の増加による経済損失よりも生活保護の不正受給を叩く。科学的にあり得ないバブル経済が再来すると信じている。中には景気低迷をゆとり世代の責任だという的外れな指摘をする者も出てきている。学力偏重からの脱却を訴える世代もこの世代であり、もはや社会病理といってよい。