スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

スキゾイド・ニヒル

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

前からわかっていたのだが、私は『人が関わること』に無関心であることを幼馴染から指摘される。高校時代の旧友に連絡を取らない私に、彼女は『もう全部面倒になってきてるんでしょ?』と尋ねる。正論であり真実だ。

私は対人関係を災難の引き金としか考えられないようになっており、家族だろうが親戚だろうが友達だろうが、常にその場が平穏に終わることを願っているような自覚があるのだ。もう数年以上この傾向は続いている。だから身の回りの人間に興味関心を持たないのかもしれない。

SNSに参加していない』『他人の人間関係に関心がない』『他人に嫉妬しない』『集団生活を好まない』こんな共通点だけでも、もう普通の人間ではないことがわかる。そしてもはやそれを修正する気力さえもなくなっていることに気づくのだ。加えて私は行事などに疎く、青春時代というものも概ね趣味に費やしていたので経験がない。そして恋愛についても無頓着なのだろう。

嘗て高校や大学に友人がいた時期も、友人達はバレンタインやクリスマスになると、こちらが聞いてもいないのに『独り身』であることや『恋人がほしい』という話を振ってきた。もちろん私は他人の意見に迎合だけしていたので、同意はしておいたのだが、もうすでに人間関係に疲弊していたのでそういう欲望は消失していた気がする。

親戚も『早く彼女を作りなさい』などと毎回冷やかしてくるのだが『あなた達を見ていると恋愛の末路が見えますね』と返事をしたくなってしまうレベルに現実は残酷だ。今まであまり書いてこなかったが、私が無欲になった事柄で最も大きいのは性ではないかと思う。元々欲求があまりなかったので比較しても仕方がないのだが、この大学生活であまり『異性』に対する欲求を感じることがなかったように思えるのだ。

大学で関わる女性達とのコミュニケーションも、専ら陰口を言われないための気配りをしていたに過ぎない。上記のようにバレンタインやクリスマスに恋人と街に出かけてショッピングをしたり食事をしたりというシチュエーションを妄想することも望むこともほとんどなかったのだ。