スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

全席苦痛

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


ただひたすら労働が苦痛。その他のことは一切気にならないからとにかく人間関係から解放されたい。人間さえいなくなればまったくストレスはなくなる。いっそのこと、自分が死んだ方が早い。これ、割と頻繁に考えるけど、労働自殺やいじめ自殺の要因の一つだと思う。別に自分は自殺するつもりはないけど、恐らく人間関係に絶望的な行き詰まりを感じている人間の心理としてはやや普遍的な者なんじゃないかと。

そしてここまで他のことを気にならなくしてくれる労働に、皮肉にも感謝しなければならない。健常者や一般大衆が悩むような高尚な承認欲求や高度な理想・期待など、すべてがどうでもよく、許せてしまう。労働を控えた金曜以外の平日の夜、日曜の夜には、労働から解放されたいという単一的なモノクロ思考だけが支配的となり、そのほかのあらゆる雑念が消える。もはや労働開始した2014年からその雑念は消えており、あらゆることに余裕をもって向き合えるようになり、イライラすることも極限まで減った。そこにあるのは労働とそれに関する人間関係、人間の喜怒哀楽に対峙することへの不変的な苦痛と重荷、それだけだ。

人の喜怒哀楽、人間関係の茶番、形式的な会議など、意味の感じられない慣習や伝統や場の秩序を維持するための世界観。そんなものと関わることを徹底的に避けたい。夢や希望じゃなくてこの目的を達成するために進路を決めればよかったが、高校時代に偽りの人間関係が存在していたため、人を避ける本能が鈍っていて大学選びに失敗した。だから高校時代は完全に負の遺産。今は労働以外の分野では楽観的な人生を送っているものの、2度と触れたくない過去である。

労働、一点の曇りもなく一切のプラスな感情が湧き起こらない。これほどまでに他の感情をすべて帳消しにするほどのクソなイベントに出会えてむしろ光栄だ。それまでにあった悩みも2014年3月をもって消滅した。歳を経るごとに寛容だと言われる頻度が増え、確かに介護などの身内の負担を肩代わりしているわけだが、その根底には、あらゆる負担も労働の前には朝飯前という革命的な環境の変化が存在するわけだ。今日もその轍の延長線上を、ただ淡々と歩むのみである。