スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

褒めるのはタダ

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


普段から空気を乱さないようにと、適当に相手に合わせたり知ったかぶりを駆使したり、いい加減なことをいって整合性や確実性がなくてもその場を凌ぐことが増えた。もちろん重大なことや個人の問題に関わることは別で、あくまでも日常会話レベル、あるいはマイナスの側面がないものについての雑談の上での話。

こういう習慣が固定的になると、多くの人と同じだけの距離を置こうとするから、親しい人間というのがほとんどできなくなる。極稀に自分の内面と酷似する人物と出会うことがあり、その場合には親友になれる可能性が発生し、実際にそのプロセスで親友や戦友ができたこともあった。比較的最近の話(震災後)だ。

そして、このような対人折衝における適当な回避行動をとるために、常に心掛けていることは「マイナスな空気を作らない徹底的な努力」だ。いい加減や適当といえども、場の空気が和やかであったり楽しいものであるようにする努力は欠かせない。だからとにかくその場その環境その人物の中にあるプラス要素を徹底的に洗い出し、それを恥ずかしがることなく口にする。

いいねえ、かっこいいねえ、かわいいねえ、おいしいねえ、たのしいねえ、やさしいねえ、と褒めまくる。自分も他人も。

そういう生き方を大学生中盤以降に続けた結果、本当に物事への不満が減った気がする。同時に向上心や他人への期待も限りなくゼロに近づきつつあるのだが、それはそれでいいと思っている。具体的には、食事、特に外食について、かなり寛容な評価ができるようになった。外食は人間の傲慢さが現れる典型的な場面だと思っている。大半の人が「美味しい」よりも先に「美味しくない」点や不満な点を口にするからだ。なぜか素直に「褒め」ない。

美味しくなかったとしてもイマイチだったとしても、対価やその場に見合ったものを提供しているからその商売が続いているわけだし、美味しいかどうかは完成の問題だから、自分が絶対とはいえない。そんなことを前提に考えれば、自ずと無駄な期待は消えるし、その料理のいいところや作ってくれた人の気持ちを無理せず推察できるようになる。

重ねて言うと、これは決して無理をしているわけではなく、穏やかな場や人間関係を作ろうとした結果、自然とそのような思考回路に自分自身をあてはめることができるようになったという話。とてもお得な話。向上心がないといわれればそれまでだけど、誰かを非難したりバカにしたり陥れるための向上心なら、そんなもんいらないよね。
集団や組織や社会についての猜疑心は必須だけど、無害なものに対する批判精神はいらないし、そんな贅沢な期待を他人にするだけの感情はもうない。