スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

無根拠と勘

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


学校行事で、準備をまじめにやらない人や消極的な人、そうした活動が苦手な人に対して、実行委員が罵声を浴びせている場面を多く見てきた。同じ学年で、しかも何か特別な監督責任も権限もないのに、物凄い汚い言葉や攻撃的な言葉で、全体を統治しようとする。そしてそういう代表者になるような人間は、たいして準備活動をせず、監督して罵声を浴びせて回っているだけということもあった。にもかかわらず、文化祭本番を終えた最後の表彰式などでは、涙を流して絆だのみんなと一つになれただの感謝だのを述べる。恐ろしい。昨日の罵声はなんだったのか。本人も覚えていないのかもしれない。当たり散らしたほうは覚えていない。いじめたほうは覚えていない。人を死に追い込んだほうは覚えていない。そう、すべて都合の悪いことは覚えていないのだ。だから加害者はいつもヒーローになり、被害者はその尻拭いのために死んでゆく。すでに教室全体が死んでいた。実体のない一体感と笑顔で埋め尽くされていた。机に向かって一人でできる勉強がもはや癒しに思える。人と顔を向き合わせる段階で、疲労が蓄積されていった。そして今、同じようなことが、労働という形で再構築された。人間は集団を作り、そこで上下関係を作り、奴隷制度を確立する。逃げ場がない。