スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

愛の反対は干渉です

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


知人と「なぜ自分たちの職場は人間関係が厄介なのか」について話すことがあり、それは暇だからだろうという結論に達した。

今の職場には喜怒哀楽を強く表出する人が多く、結局、人間らしさが雰囲気を潰すような感じになっている。同じ書類を回してもその場の機嫌で突き返して来たり皮肉を言って不要な訂正をさせたりする上司が少なくないし、それを別の上司が庇うわけでもなく、あくまでも下は上の気分にも付き合ってやれ、程度の認識だ。

こうした茶番のような場面に出くわすと、不謹慎ながらも、いっそのこと大災害などが起きればと思うことがある。もちろん、犠牲者が出るような場面を想定しているわけではなく、こうした小さな仕事と関係ない感情が打ち消される、あるいは持つ余裕すらない状態になってくれないかという願望だ。

身内の介護を本格的に手伝うようになって、福祉や介護関係の人と話をする機会も増え、その人たちの働き方や生き方についても知る機会に多く恵まれた。仕事内容は極めて大変ながらも、組織の中で孤立するような無駄な時間、停滞した時間、死んだ時間が少なく、常に何らかの問題を解決するために動き続けなければならない様相に、隣の芝生レベルではありながらも羨ましさを覚えた。

労働自体を拒絶する事態には陥りにくい。拒絶の大半は、こうした「無意味な人間芝居」に対してだ。不要な議論、対立、誹謗中傷、陰口、要求…そんな贅沢が語られるだけ「暇」な職場なのだろう。そしてなぜ暇かと言えば、下請けと派遣と若手に押し付けているからだ。

「愛の反対は無関心」…そんなことは到底思えない。無関心こそ、愛だ。