スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

孤独を受け入れること

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


今の仕事は精神的負担が大きいと感じる。なぜそう感じるのか、それは対人関係ストレスが比較的大きいからだろう。今はとにかく人と関わることが負担だ。廊下やトイレで職場の人間に合わないように回り道をしたりしている。特に関係のない人間に対しても、なぜか目が合わないように、自分の存在を認知されないようにと思ってしまう。一人でいる時間が何よりも落ち着き、誰といても相手の顔色を伺うようになってしまい、友人関係ですら楽しめなくなってしまった。

私はそもそも孤独な人間である。過去に壮絶ないじめを受けたり誰かに虐げられていたわけでもない。しかし、人間の不和を数多く目にし、同じことを繰り返す人間の愚かさに何度も失望した。集団の中で平和に生活ができない人間を幼稚園時代から見てきた。中高では教師の非道徳にも幾度と無く触れることとなった。大学では、成人以降の一般人の中にも、劣悪な人格を表出するものが多いことも痛感した。こうした多くの人間関係が引き起こす問題、争い、不協和、不道徳を見てきた結果、人間の好奇心が平和を乱す発端であることに気付き始めたのだ。

口は災いの元という言葉が私の人間関係の捉え方の大半を占める。とにかく無駄な争いはせず、仕事や公的な人間関係に感情を持ち込まない、ただひたすら対価のために与えられたことを淡々とこなす、こうした姿勢を常に理想としていたため、大卒就職先の中で主に企業就職のエリートコースと呼ばれる働き方にはまったく私の価値観は適合しなかった。それが文系を選んで大失敗だった最大のポイントとも言えるだろう。正確性や希少性、技術力が必要とされる場面や職種で生きていくことができれば、きっと変わっただろうと思う。

昔から学校ではなく予備校に居心地の良さを感じていた。行事がないなどの自由度の高さも理由であることは否めないが、何より予備校にある魅力は「匿名性」だ。個人的な感情や人格的な優劣関係がなく、各々の設定した目的のために均一な待遇を受け、それを各自で好きなように活用する。秩序も保たれており、感情的に他人を非難する者もおらず、そういった機会も作らせない場がそこにはある。

対して、学校や家庭や友人関係などのコミュニティは往々にして個人的な感情が集合体の形成に介入する。毎日集団生活をしていく中で、必ずグループが作られ、共通の敵を作ったり特定の思想を強制したりすることが行われる。人間関係のすべてが個人対個人で行われることはなく、必ず強弱関係や支配関係を生み出そうとするのが人間だ。

皮肉なことに、最大の誤算は高校時代に友人関係が拡大し、人間関係に性善説的な要素を感じてしまったことだ。それまでは基本的に人間を信用しておらず、すべて自分でできるようになり、自分一人で何とかしていかなければならないという意識が強かったため、成績もよかった。それが、高校時代に友人関係が居心地のよく持続性のあるもので、人と関わることで楽しめる錯覚に陥ってしまった油断が、どんどん成績を下げていったのだ。

一人で何でもできないと将来的に困るという意識が薄れた時、まず記憶力が衰退するのを感じた。以前は一度書いて覚えれば7割以上は暗記しているほどに暗記にも自信があったのだが、その能力が一気に衰退した。同時に、じっくり考えるということができなくなっていた。単独行動が中心だった時代は、思えば時間をかけて勉強もしていたのだが、高校時代になり、息抜きをはじめ様々なことに油断をするようになると、じっくりとものを考えるということをしなくなってしまったような気がする。

数学のように常にペンを動かして式を書くような作業は得意だったが、ペンを置いてじっくりと考えなければならない物理や化学には苦戦した。思考の限界を何度も感じ、じっくりと一つのことを吟味する気力と能力を失うことの重大さに気付いたときはもう遅かった。高校3年の秋、既に成績は英語と数学以外壊滅的だったのだ。

結局、理科の成績が悪すぎて数理系学科のみに合格。どれも資格を取ったり技術系の職に就くには難しい学科だった。思えばあの成績だと化学の配点が高い薬学系も厳しかっただろうと思われる。難関大と呼ばれる大学へ現役合格したという事実は周囲の過大評価のもとに失敗を誤魔化す要素を成り得たが、この時、学歴や受験結果よりも、自身の能力が劣化していることにただならぬ絶望感を覚えていた。

そして大学時代、一時的とはいえ人間関係に幻想を持ってしまった自分の過去の描写が間違っていたことに早々に気づき、軌道修正を行おうとしたが、重要な時期に思考能力を養成することを怠った代償は大きく、その後は何をやっても失敗が続いた。その場しのぎの勉強や数学的なものはできても、それ以外のじっくり考える作業が明らかにできなくなっていたのだ。それは就職先を考えたり、将来を考えたりすることにおいても大きく影響した。
私にはすべての人間関係が灰色に見えている。すべての人間関係は余程のことがない限り、強弱関係、利害関係で出来ており、思ってもいない建前を振りかざし、陰口をいうレベルに無価値な人間関係の構築に多大な時間を浪費する。この茶番のようなやりとりのすべてがどうでもいいと思えてくると同時に、こんなどうでもいいことが賛美されている世の中にただならぬ絶望を感じる。