スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

テレビと食卓

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


前にも書いたかもしれないが、家族で集まって食事をする意味って何だろうと思うことが多い。家族で会話しながら楽しく食事するのならよいが、ただ人が集まっただけで黙ってテレビを見ているだけならば、一緒に食べる意味はどこにあるのだろうと思う。特にドラマなどストーリーのあるものになればだいたい黙ってそれを見入ることになるし、そうなればもはや一人で食事しても数人で食事しても同じだと思うのだ。

同様に、映画を複数人で一緒に見たりするのもよくわからない。映像や作品を見るならば他の人の目線がないところで一人でじっくり楽しんだ方がよくないだろうかと思う。それを見て考え、感じ、思うところがあるわけだから、そこに他人や集団が存在 する意味はないだろう。 テレビに視線を集中させて食卓を囲む食事の時間は、ボックスシートで向かい合いながら全員が黙っている光景に近い。気まずさと息苦しさだけが充満し、食材を楽しんだり料理に集中したりすることもなくなる。作った人の料理を褒めることもなければ、じっくり味わうこともない、ただただテレビから垂れ流される映像を見て反射しているだけで、頭もほぼ思考停止状態だ。反射がだけで思考がない。

結局、スマホをやりながら食事するのもテレビを見ながら食事するのも私にとっては同じだと思っている。テレビがないと静まり返って気まずいからバラエティー番組をつけるような食卓なら、もはや家族そろって食べない方がいいだろう。何の ために集まっているのか考えずに義務的にスケジュールを合わせているだけならば、それは団欒とは程遠い存在だ。何のために一緒にいるのか、本当に一緒にいたいのか、一緒にいて何をしたいのか、一つも答えを出せないテレビ漬けの食卓が、今日も首都圏近郊の核家族で散見される。