スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

青春窒息死

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


「真面目に作業しろよ!」
「やる気あんのかよ!」
「帰れよ!」
「使えねえなあ!」


文化祭実行委員のボスである女子生徒の罵声が教室中に響く。今週も土日の両方が文化祭準備に充てられ、クラスの学生は部活動の事情を除き、総出席を強いられた。2ヵ月前から準備が始まり、金賞を狙うための演劇の練習が、平日・休日を問わず毎日18時まで続けられているのである。こんな生活が始まってから今日で40日、いい加減、睡眠不足と勉強不足で負荷が大きくなっていた。


クラスメイトは台本を一生懸命呼んでいるが、その顔は険しい。限界まで疲労が蓄積しているためか、そのストレスを他人にぶつけることしかできなくなっており、他人の芝居の様相を非難したり批判したりすることで、連日トラブルが発生していた。こうして練習中に溜まった鬱憤が休憩時間に発散され、それが実行委員のボスの目に留まると、罵声が浴びせられるといった構造だ。


ボスは基本的に休憩時間をとることを許さないので、誰にも見つからないように自販機や食堂へ行き、一休みをするというのがセオリーだが、このように口論や小競り合いが起きてしまうと、休んでいることがバレてしまう。見つかった日の雰囲気は最悪だ。夕方まで絶え間なく皮肉を言われる。もうここから逃げ出したい。何のために高校に通っているのか、一切理解できなくなっていた。


そして、膨大な忍耐の結果、何とか文化祭当日を迎え、演劇は無事終了、大盛況に終えた。私たちのクラスの創作は金賞を受賞し、全校生徒や教員から称賛を受けた。授賞式ではボスが壇上に上がり、校長から表彰状を受け取る。その後、代表者から一言スピーチがあり、ボスが号泣しながら口を開く。


「クラスが一つになったおかげで、賞を取ることができました。途中では色々みんなに厳しいことも言っちゃったけど、私も一生懸命だったので、どうか許してほしいです。こうやって絆を深められたことをとても幸せに思います。ありがとうございました。みんな大好きな仲間です。」


表彰式会場からは拍手と歓声と他学年、保護者からの涙が沸き起こった。


私たち末端には、この場、この行事、ここの人間、この世界のすべてがどうでもよくなっていた。これで連日の苦しみから解放され、自主性と最低限の安全が保障された学生生活が戻ってくることに、ただならぬ安堵感を覚えていたからだ。それさえ満たされれば、もう他のことは何も望まなくなっていた。きつい受験勉強がまるでご褒美のように感じられる。もう人と喋りたくない。机や壁に向かっていたい。そんな心境になっていた。


そして、誰もが口にしなかったが、現場の末端には共通の認識があった。


それは、このボスが「何も一生懸命やっていない」ということだ。他クラスや教員との調整は副委員長が行い、現場はセクションリーダーが束ね、ボスはそれを巡回して罵声を浴びせていただけだからだ。そしてボスは多くの時間、自主練や朝練などといいながら、教室でポテチを食べながら漫画を読んでいた。みんな口には出さないが、それを知っていたのだ。知っていても、それを言えるほど、気力も体力も残っていなかったのだ。


そして10年が経過した今、任意団体で働いている私は、同じような気持ちになっている。無意味な会議、大会、行事、宴会、そして実体のない臭い根性論や美化された言葉、汚染水のような人間の涙。今日も大きな会議があり、何も仕事をせずに部下に罵声を浴びせていただけの管理職が表彰台で挨拶をして目に涙を浮かべている。今度は文化祭のように、じっと我慢していても終わることはない。虚無、虚構、虚像、あらゆるむなしみが私を囲い込んでいた。


賃労働と組織の闇は、学校生活の段階で既に人間に浸透しているのだ。知能が発達した大人がそれに騙され続けているように、感情の表出に秀でた子供までもが、暗黙の了解として、理不尽と苦痛の沈黙に、日々流されてゆく。これがこの国の、この社会の、縮図なのだろう。