スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

感動の押し付け

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


弱者や障害者をネタにして大衆の自己満足に使おうとするような性質の企画だとして、24時間テレビに批判が沸いている。個人的に同様のことを思っていたので、いずれはこうなるだろうなと思っていた。私は人間の善意とかそういうものを一切信用していないので、チャリティだとか愛とか絆とかそんなものに涙を流そうとも思わないし、家族や隣人を大事に出来ない日本人に包括的幸福を共有することなど無理だと思っている。実際のところはわからないが、この企画も障害者をバカにしたり、無理矢理の企画についていけないと現場で罵声が飛び交ったりしているようだ。それを映さずにあたかも障害者も喜んでいるというような構造にしているところに、どうしようもなさを感じる。こうした番組や人間の営 みに拒絶感を持っている人は、とにかく観ないようにすることしか対抗策がない。相手にしないこと、一切関心を寄せないこと、それが劣悪な企画行事への唯一の対峙方法のように思える。


感動は各々が心を動かすことであって、他者から強制されたり強要されたりするものではない。共有することを強いられるものでもないはずだ。にも関わらず、学校、会社、テレビ番組などの集団、組織においては、この感動の共有の強制が頻発している。昨今目立ってきた学校における「いじめ」の中の「いじり」という行為も、お笑いやトーク番組、こうした企画における芸能界の雰囲気がそのまま出ているように思える。みんなで共有できれば少数派や弱者が消費され、陰で苦しんでも構わない、それが多数派の感動でありエンタメであり娯楽であるのだから、それは正義だと「多数派」が定義してしまえば、それが「愛」「絆」になってしまう。愛は地球を救うなどと言い切り、その愛自体が致命的な侮蔑と 憎悪に満ちたものであれば、実態は生き地獄だろう。根本的に、差別社会は完治していない。