スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

攻撃性への疑問

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


いじめ問題について議論される時、決まって道徳心や思いやりなどということがテーマになり、一義的な議論が繰り返されますが、今回はいじめ問題について、社会不適合者の私からみた意見を述べてみたいと思います。いじめを防止するためにはお説教や道徳教育をしてもほぼ無意味でしょう。人間は他者を支配したり攻撃したりすることでしか優越感を持てない生き物である傾向を持っていますし、弱肉強食だった原始時代から、強きが弱きを制圧するのは自然の摂理です。ただ、今のいじめなどは単純に仲間外れゲームを中途半端に楽しんでいる弱者の吹き溜まりなだけで、強いものがサバイバルで勝ち残るためや利益のために弱いものを攻撃する構造とはまったく異なります。つまり、いじめは相手への興味関心の表れであり、いじめっ子はいじめの標的の子が好きなのです。だから「○○くん(さん)のことが好きなんでしょ?仲良くしたいんでしょ?」とハラスメントのように煽り続けて発狂するのを待つのが加害者への最善策のように思えます。では、いじめが馬鹿らしい理由を下記に記載しましょう。

第一に、時間の無駄ということがあります。弱者の集合体が虚勢を張って孤立した弱者を虐げることにより、何が生まれるでしょうか?ターゲットとなった被害者はもともと最弱なわけで、集合体の方が強いことは自明です。いじめなんてしなくても強弱関係が明らかではありませんか。なのに何十時間もかけて相手が衰弱するのをねちねちと攻撃するってどんだけ暇なんでしょうか。はっきりいって時間の無駄以外の何物でもないですし、だったら学年一偉そうな人気者を墜落させたりする方がよほど面白いですし、スクールカーストの逆転によって自らが得る利益の期待値も大きいような気がします。ネットゲームの対戦でレートが最低の人間と勝負してコテンパンにしても数ポイントも入らないですが、あれと同じことです。つまり出来レースなのです。センター試験の数学1Aで満点を取っても満点がわんさかいて自慢できないのと同じです。勝っても意味がない勝負をして自己満足に浸っている最強のバカということになります。

第二に、理解できないということがあります。いじめや嫌がらせや冷やかしって、つまりは他者を攻撃することで自らが何らかの快楽を得る行為ですが、私のような社会不適合者にとっては、嫌な人間と関わること自体が何よりの損失であり苦痛でありますから、少なくとも嫌いだったりにくかったりする人には意地悪すらしようと思いません。私は上司を憎んでおり上司が死んだとしても副次的なハラスメントの残骸を警戒する自信があるくらい嫌いですが、嫌いだからといって意地悪をしたいとは思いませんし、嫌いな人間には消滅してほしいとしか思いませんので、自分の視界から存在を消すことに徹します。存在を消せばそれで終わりなのに、なぜいつまでも絡み続けるのでしょうか。結局、被害者のことが好きなんじゃないかなとしか思えないですね。