スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

AI部長

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


今日から、配属と、なりました、AI部長です。


機械的に淡々と新任部長が挨拶をした。


前任のサイコパス系部長が定年で退職し、新しい試みとして、AIにより制御された人工人間が管理職として配属となった。


AI部長は軽く挨拶をしたのち、部内全員に向けて一年の仕事の具体的な流れを時間単位で記載したカレンダーを添付ファイルで一斉送信した。どこで何を何時に誰と行い、休暇者がいる場合は誰がそれを代行するのかというところまで詳しく書いてある。これほどまでに用意周到なものはない。


そして、AI部長は口を開ける。


「これからは、会議や、ミーティングは、すべて、チャットで、行います。スケジュールに、したがって、毎回の、協議事項も、決めて、あります。淡々と、必要な、連絡だけ、行いましょう。」


必要事項を喋ったのちに、すぐに部長は席に戻って仕事を始めた。本年度から、AI部長の提案により、部長が全部下の仕事の最終チェックとその校正を行うようになった。


部長は淡々としているが、喋っているときの表情は終始穏やかだ。喜怒哀楽の塊であり、人間らしいと称された気分屋の前任部長とは大違いで、いつ、どこで誰が話しかけても、落ち着いた表情で回答だけを過不足なく言い、参考となる資料をスケジュール表から引っ張り出し、どのように対応すればよいかというマニュアルを一度にはじき出した。


AI部長の就任により、社員の様子も変わろうとしていた。労働に感情を持ち込んだり、人間関係のいざこざを持ち込むことがいかに不合理なことか、周囲も徐々に気づき始めてきたのだ。団塊世代やバブル世代が引退し、AI管理職に置き換わったことで、人間の持つ感情が汚物であることが明らかとなった。


そして、労働現場における感情の喪失は、労働者に安寧をもたらし、機械的ではありながらもサービス精神の向上や小さな配慮に対する労働者の自発的な注意は一層細かなものとなった。イライラや怒り、嫉妬、焦りが減る分、その余裕を他のことに向けられるのだ。


各自の言動にも恣意的な雰囲気が感じられなくなっていた。まるでスピーカーである。


もちろん、失敗やミスをしても全部の作業がAI管理職によってマニュアル化され、即座に解決できるようになっているので、焦ったりすることはなく、労働現場から動揺という文字が消えた。


AI部長が就任して三か月、鬱で休職し、自殺寸前まで追い込まれた同僚が復帰した。精神回復は未了だったが、AI管理職によって細分化、体系化、単調化された業務が増え、対人折衝も事実上、機械と機械の通信にすぎないものとなったので、事務職、営業職を問わず、精神疾患患者のリハビリにも最適なものとなっていたのだ。


ギスギスしていたこの部署に、平和が訪れた。爆笑や感動は葬られたが、予測可能で安心な行為とその確認、人の顔色を窺わなくても済むようなマニュアル化された対人折衝、消費者のサービスや社会への要求が緩和した結果、自分にも他人にも寛容になれる社会が到来したのだ。人間の喜怒哀楽からの解放が、多くの労働自殺者を救った。


学校現場でもAI管理者は普及した。いじめや問題行動はすべてAI教員によって点数化され、あらゆる非行がカウントされるようになった。実技教科の集団種目もAIによって個人の役割が明確に与えられ、スクールカーストは消滅した。どれだけ賢くても強くても、AIには勝てず、クラスの中で特定の生徒が主導権を握ることはなくなった。気づけば、いじめ自殺はほぼなくなり、教育現場も学校に限定されなくなっていた。


「そんなんなら機械置いとけば用がねえんだよ…」


こう嘆きながら労働を苦に自殺した半世紀前の若い労働者、彼の苦悩は無駄にはならなかったのだ。