スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

フィクション

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


哲学が好きな少年がいた。特に死生観について関心があるようだった。

その少年が、生まれた瞬間に死ぬ運命が確定するという意味で、子供を作る行為は殺人と紙一重だということを、ある日、口にした。こんな思考を持つ少年だが、哲学が好きなだけで普段は明るい。

学校の友達や教師は、この少年を異常者扱いし、無理やり考えを改めさせたり、非難したりした。お前はおかしいと何度も言われ、クラスメイトから蹴られたり、唾を吐かれたりした。彼を非難したのは明るい連中や活発な連中だけではない、すぐに死にたいとかネガティブなことを話すようなメンヘラ系の連中ですら、彼の存在を非難した。

家に帰ってその話をすると、普段は優しい両親が、冷たいまなざしを向けた。自分たちが生んで大事に育てたのに、そんな考えをするのはおかしい、ありえない、人間じゃない、などと言われ、彼は食卓でも孤立した。性善説でチャリティー番組に涙を流す食卓の家族の後ろで、ただひたすら少年は孤立していた。ついに家族さえも敵になったと確信した。

数日後、この少年は首吊り自殺した。

葬儀では、家族がひたすら、この子はきっと幸せでした、天国で笑顔でいることでしょうと周りに話し、学校の関係者もそれに倣った。家族は涙を流していたが、その涙は台本通りの涙であり、子供ではなく、子供を亡くした自分たちを憐れんでいるだけのものだった。

後日、少年がいたクラスで臨時学級会が開かれた。学級委員がスピーチで、彼の分まで明るく前向きにいきましょう、と話すと、周りから拍手かわきおこり、教師は人間はみな幸せになれると言いながら会を締めた。

それから10年以上が経過し、この少年の存在は、すっかり忘れ去られた。2020年、東京五輪開催を前に、世の中は一元的な価値観に染まることを美徳とするような雰囲気になっていた。

今日も無数の生命が誕生し、無数の生命が苦しみながら生きている。確かに生命の誕生は喜ばしい、しかし、喜ばしいだけではない。不都合な事実は往々にしてタブー視される。それを、幸福で安泰な側にいる人間が、常に意識することが大切であると思う。当事者じゃない人たちによる当事者意識の養成なしには、不幸は絶えないだろう。

誰かが違うことを言ったとき、なぜそういうことを言うのか、人は考えたくないし、考えることを恐れる。人の話に耳を傾けるより、人の話と自分の話を一致させることに、人間は必死だ。この学級会と同じような芝居が今日もテレビ画面を飾る。人間は、ポエムの世界にしか存在しない。