スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

すぐにやめることの何が悪いのか

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


「あいつは何をやってもダメだ」
「今のところでダメならどこに行ってもダメだよ」
「とりあえず、数年は我慢してみなよ」

こうした「我慢と継続」によって成果が得られるような趣旨の助言は多い。

労働者にせよ学生の部活にせよ、その対象は多岐にわたるが、とりあえず「続けない=悪」という等式が謳われることは少なくない。

すぐにやめるということは飽きやすく、飽きやすい性格の人は我慢強くなく、我慢強くない性格の人は社会不適合だということだろうが、果たしてそうだろうか。

我慢強くない人が社会不適合者なのだとしたら、ブラック企業のワンマン社長やダブルスタンダード型管理職、気分屋の人間全員が社会不適合者ということになり、労働者の大半が社会不適合者ということになるから、おそらく「我慢できない=社会不適合」ではない。

加えて、飽きやすい人が社会不適合だとしたら、変化を好む業界や企業の人間は社会不適合ということになるし、我慢や忍耐を促進する組織だけが「優良組織」ということになるから、これもまた成立しないと思われる。

そして、すぐにやめることが本当に悪いことなのか、ひたすら無意味に自分を騙して我慢している人と、すぐに切り替えて別のことに集中する人や苦痛の対象から脱出する人、果たしてどちらが結果的に「満足度」が高いのだろうか。

これについては十人十色であって正解はないが、個人的には、前者の我慢型の人間よりも後者の切り替え型や回避型の人間の方が精神面での安定や幸福度が往々にして高い印象を受ける。

印象を受けるなどというほど友人知人がいないが、たとえば大学での専門分野が合わないからすぐに仮面浪人や再受験をする人の方が、ダラダラと4年間も5年間もかけて大学に通い詰めるよりも納得のできる結果を生みやすいし、失敗したとしてもそれなりに自分の実力のなさや危機感から考え改めることなどもできる。何もせずに現状を我慢するということは不満をひたすらためるだけであり、そこから建設性は生まれない。

仕事も同様で、結局「世間体や周囲の了解・承認のために我慢している」程度の意識では建設的な意識は生まれないし、時間を溝に捨てているという空虚感や、それこそ罪悪感さえも生じてくるかもしれない。加えて、好きで我慢しているくせに「我慢させられている」ような、行き場のない被害妄想や憎悪に苛まれるリスクもある。

我慢して相応のリターンがあれば別だが、ひたすら我慢しなきゃならない状況における社会的報酬は、逃げたり環境を変えた先の社会的報酬と比較して、恐らく目立って良いものではないだろうから、我慢神話もそろそろ終焉を迎えることなのではないかと思う。