スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

相手は自分ではない

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


人の話を聞くときに、必ず相手に最後まで発言させてから口を開くようにしている。会話上の極普通な配慮なのだが、それ以上に、相手は自分とは違うからという考えがある。相手は自分とは別物で、相手が思っている内容は自分が体験したことではない。あくまでも、相手がその場で主体となって体験したことを表現しているだけにすぎないから、自分に置き換えて途中で納得したり噛み砕いてはいけないという意識が働く。

相手がつらい気持ちを話したとき、仮にそれが自分にとって大したことじゃなかったとしても、相手にとっては大したことであり、大したことになってしまった理由や状況があったかもしれない。にも関わらず、人間はしばしば他人の置かれている状況に「今」の自分を登場させ、その余裕のある第三者的目線で相手の舞台に立とうとする。だから相手の気持ちや渦中のつらさを理解できなかったり、甘えだの我儘だのという結論を安易に出してしまうのだろう。

自分に厳しい人なんかも、自分に対する戒めの気持ちを相手に対してつい口にしてしまうことがあるのではないだろうか。その場で見聞きし、感じているのは、自分ではなく他人であり、自分がどう思うかは一切関係なく、他人の経験すべてを一つの物語としてとらえ、その物語自体の感想を言わなければ、自分本位な人生の乗っ取り解釈になりかねない。だから相手の気持ちがみんな理解できない。

だから、下手に口を挟んだりレスポンスするよりも、ただひたすら「うん」「そっか」と言っている方が、話を最後まで聞かなかったり主人公を自分に置き換えるより遥かにマシだと思う。