スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

退場欲求

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

こんなことを言えば非国民だといわれるだろうが、私は頑張っている人があまり得ではない。常に目標を決めて、それに一生懸命な人。今は総活躍社会などと言われているが、誰もが同じように仕事と家庭と世間体だけに猛進する社会はとても窮屈だと思う。

女性の活躍が謳われているが、女性は本当に活躍したいのだろうか。少なくとも私の周りの女性で幸福度が高そうに見える(あくまでも外部からそう見えるだけ)のは、社会に搾取されずに労働界と一定の距離を保っているカテゴリーに属する人たちだ。フルタイムで常に忙しそうにしている人の表情はかなり険しそうに見える。

雇用の椅子が減ってきている中で女性の社会進出だけを美談のように訴えてきた社会、そこから外れた男性は一体どうなったのだろう。自殺か、ホームレスか、その日暮らしか、本来であれば男性が社会退出して街や家庭で活き活きと生活する姿があっても良かったはずだ。しかし、現実には残念ながらそうはなっていないし、男性は労働者としてしか価値を認められないのが日本のスタンダードだ。

女性を不自由から解放することと、女性を働かせることは違うだろう。リーダーやキャリアという言葉を乱用してそれがあたかも幸福な人生設計であるかのように描いた社会。現実には電通の高橋まつり氏が自殺したように、とんでもない搾取労働が起こっている。女性を社会に放り出せばいいというのは全くの見当違いで、むしろ、男性も女性も社会搾取からきちんと守るという構造が求められたのではないだろうか。

活躍が実際には搾取で、ある層の進出が実際には別の層の退出で、搾取や退出の先にセーフティネットが何もない状態だ。繰り返してしまうが、この構造を変えずに形だけ活躍社会を作ったところで、ブラックな生き方を強いられ、強いられる側が消耗戦を繰り返し、支配層は高みの見物を続けるということが繰り返される。

最初の話に戻ると、こういうことを立ち止まって考えずに、ひたすら今の価値観に追従することを「一生懸命」とか「頑張る」とか「活躍」としてしまう人が苦手だ。