スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

虐待する親は子供を作るな

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

虐待ニュースが連日報道される。今回は小学4年生が犠牲になった事件らしい。子供に恒常的に暴力をふるったり死に至るまでに加虐行為を繰り返す人間がいることに驚くが、人が自殺するまでいじめを繰り返す未成年がこれだけ多いことを加味すれば、そもそも遺伝子継承・子孫繁栄をしていること自体が、ある種の勝ち抜き遺伝子、加虐遺伝子である証拠なのかもしれない。他者を制圧して自ら生み出した命を生み出した主体が殺めるという皮肉な結果だなとひたすら思う。

そんなに子育てにイライラするのであれば、しなければいいだろう。20代で育児と無縁な私はそう思う。怒るくらいならやるな、それが私の思考軸で、一生懸命我慢しながらやることに一貫して不参加を表明していた。幼稚園でイライラしながら運動会の指導をする教員、学校でイライラしながらクラスをまとめる実行委員、会社でイライラしながら無駄な仕事を増やす同僚、別に頼まれても必須事項でもないことを、辞める選択肢がありながら、精神衛生を犠牲にして繰り返すのは、思考停止だからなのか、それとも、この人たちが人間であることを放棄したからなのか、まったくわからないが、子育てもそれと同じ性質を帯びている気がするのだ。

子供を持つのは人間の本能だという人が苦手だ。生んだ側の都合しか考えていない。そういう人間は怒りも人間の本能だと主張し、虐待を容認するのだろう。子供を持ち親になると人間として一人前になるという主張はまったく正しくないと思う。そうやって親万能説を社会が認めてしまうから、子供に対する支配権が強まるのだろう。この少子化社会で、結婚し子供を持ち親になる人間にはどういう人間が多いかを考えれば一目瞭然だ。倫理観が平均的な人間より備わっているなどと、無根拠にいえるだろうか。休日のショッピングセンターに行けば、親という生き物の実態が少しはわかる。

念のためいうと、私は問題のない家庭に生まれ育ち、虐待もされていない。それでもなお、子供を持たない方が良いという選択に至っている。精神衛生を損ねてまで持続させるべきものなど何一つないからだ。それは労働や文化行事と同じで、個人が参加を判断することであり、社会が強いるものではない。逆に、育てられないくせに子供を作った人間は罪に問われるべきだろう。虐待死させた親は、子供を虐待する以前に、子供を設けた段階で犯罪者だったのだ。厳密には犯罪者だったとはいえないが、結婚した段階でそのメンタリティは犯罪者同然だったのではないかと予測できる。