スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

私が生活保護に賛成な理由

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

私は基本的に生活保護制度に賛成です。自分は生活保護制度を受けていませんし、親戚や知人の誰一人として生活保護を受けていませんが、それでも賛成です。自分が働いている間に生活保護を受けている人がパチ屋に行っていたとしても賛成です。不正受給が本当に普遍的なものだとしても賛成です。(実際には生活保護制度のための国の負担などたかが知れているし、不正受給も微々たるもの、そして働いている人の税金がそのまま流れているなんて額ですらないというのがデータからもわかります)

理由は色々とありますが、まず人間は自分の意志で生まれてくるわけじゃないということ、つまり、終わってる親から生まれた瞬間に終わった人生になるということ。努力次第で何とでもなるという人はぜひ自分の子供を紛争地域の地雷まみれの世界で産んでください。それでも努力次第で何とでもなるといえますかね。日本だったらまだ安全だしという人もいるでしょう。だったらスラム街や風俗街で子供を劣悪な環境で育ててみてください。

というと炎上しそうなので本題に戻すと、結局は人生はすべて運で、転落なんてまさに運によるもの以外ありえないだろうと思うわけです。借金まみれで生活保護に陥った人だって、借金まみれになるお金の使い方しか教わらなかったからそうなったわけで、騙されたかもしれないわけで、騙された時にどうするかを知らない程度の教育しか受けなかったかもしれないわけで、さらに仲間に恵まれなかったわけで、もう結局は、貧乏っていうもの自体が生まれつきの悪運ってことなんですよ。こんなもん、公立の小学校に通っていた人なら想像つくでしょう。なんでこんな貧乏なのに、こんなくそ親なのに、子供を設ける気になれたんだろう。そういう家庭はありませんでしたか?自分がこういう家庭に生まれなくてよかった、そう思ったことはありませんか?私は何度もありました。そしてそういう貧乏な家の子は馬鹿にされたりしますよね。それを見て自己責任だと思いますか?私は運だと思いますね。ただ、誤解のないようにいうと、環境を原因に荒れたりいじめをしたりする未成年を庇う意図は決してありません。ただ、生まれたことが災難だったね、気の毒だったねと言いたいわけです。

また話が脱線しました。運が悪かったのだからせめて生まれてしまった以上は保護しませんか?というのが、生活保護に賛成する理由の半分です。

もう半分は、どう考えても生活保護のように直接貧困層に給付する方が効率がよく、社会的にも利益が大きいからというものです。貧乏を放置すると犯罪が増えるとか健康状態が悪化して医療費が増えるとか自殺が増えるとか、そういう次元のものもありますけれど、そうじゃなくて、ここでは、私の周りで考えてみます。

たとえば、私の妹は、ちょっと大学時代に油断して遊びすぎて所定の単位や資格を取得することができなかったので、今は不本意な会社で働いています。そこは小さなオーナー企業みたいなもので、人間関係は普通ですが、ワイワイなかよくやっていこうねみたいな雰囲気で、ダラダラ時間外労働やお付き合いが行われ、残業代は出ません。住宅手当も出ないそうです。早番の日があり、実家から1時間以上かけて通勤しているので、朝は50代後半の母が4時台に起床して朝食を作ったり駅まで送りだしたりします。母ができないときは父や私がやります。本人はやらないのかとお叱りが来そうですが、へとへとになって帰ってきてそんなことができる余地もなさそうです。

ここで考えてみます。現実的には、今の状態で私の妹が生活保護を受けられる可能性はゼロです。私はクソプワー労働者ですが、幸いに親の経済力は普通以上なので、その扶養を受けられる以上、申請しても意味がないでしょう。けれども、もしベーシックインカムのような無条件給付が可能となれば、いいこと三昧です。いいこととは何か見ていきます。

まず、妹はこのクソ零細企業を退職できます。そうすると、父母私は朝4時台に起きる必要はまずなくなります。この段階で1人当たりの睡眠時間が増加、時間的余裕もでき、誰もがストレス軽減になります。早起きしなきゃ、時間がないと不機嫌になる残念な展開もなくなるでしょう。

次に、無職になった妹は今と同等(場合によっては今以上)の給付金を手にしながら、24時間自由に使えます。少なくとも、疲れることもなくなるので、この間家事をすることができます。家事が完璧なら、労働単価が高い父母は急いで帰ってくる必要がなく、重要な仕事に時間を割き、結果的に家計も潤います。妹の場合はいくら残業しても無賃なのでこれだけでも1日あたり何千円かが違ってきます。イライラが減ることで家庭内の不穏な空気が生ずる頻度も減り、精神衛生が保たれる、そして家全体の経済力が上がる。これは大きいです。

さらに、妹のように低賃金で我慢していた人が零細企業を辞めることで、余計な会社が淘汰され、補助金など無駄な対法人税金が削減されます。こういうのは全部BIに上乗せすればいいと思います。ブラック企業がなくなれば悪名高く陰湿な人材育成企業やマナー講師が淘汰され、街からしかめっ面やイライラした空気が消えるでしょう。ブラック労働と低賃金搾取が減るので、クレーマーやモンスター消費者が減るでしょう。マウンティングも減るでしょう。群れる人間の絶対数が減るので、組織集団主義も減るでしょう。このような社会環境や公共の場の精神衛生が第3のメリットです。

それ以外にもあります。無職になった妹はゲームやパチ屋三昧になるかもしれません。けれども、ゲームであれば楽しいゲームをネットで紹介することもできるでしょう。好きなスポーツを老人ホームの高齢者に教えれば、整形に係りまくる年寄りの数を減らすことができる可能性があります。スマホゲームで遊んだり機械の使い方を高齢者に教えることも、認知症防止などにつながります。遊びを通して高齢者福祉に寄与、医療費削減ができたらどうでしょう。そんなことはしないと断言する人もいるかと思いますが、生活費は心配ない、好きに遊んでいいぞと言われたら、せいぜい24時間のうち1時間くらいは誰かのために何かしようと、まともに育ったら思うと思います私は。しかも100人に1人くらいがそう思えば十分だと。

これが賃労働と経営者への全権委任奴隷制度を続けているとどうでしょう。仮に親がまともだとして、いくらコストと愛情をかけて育てても、結局は家計にマイナス決算となるような働き方を強いられる。金を会社に毟り取られているようなものです。そこまでしてカイシャという茶番を残す理由はどこにあるのでしょう。部活や学校の存在と同じで、カイシャという存在も、もはや時代錯誤なんじゃないかと思いますね。組織や集団に投資してもこの国は先進国で最も再分配できない残念な国だとわかっていますから、いい加減、みんなで同じこと、しかも戦後の精神の遺物にしがみつくのはやめて、生命の価値を無駄にしないような生き方をした方が良いと思うんですよね。その価値さえマイナス計上してしまうくせに、子供は増やそうとしているわけですから、無責任なことこの上ないと思います。

最後にもう一度、私は他人がいくら怠けていようが嫌な気持ちはしません。他人が怠けていて、何か損をするのでしょうか?逆に他人がせっせと働いて、何か私たちは得をするのでしょうか?料理ですら機械が作った方が美味しいこともある時代に、人間がコストをかけてまで全体奉仕をし、それを鑑賞することを市場価値・至上価値とする理由は一体何なのでしょう?勤勉である必要があるのなら、なぜ三種の神器で生活を楽にし、鉄道・高速道路・新幹線などで移動を楽にし、ネットショッピングやIoTでリモート社会を実現させたのでしょうか?こういう話を意見が出尽くすまで議論することこそが、人間の役割だと私は思います。

昼間から駅前で酒を飲んでいる人や、公園でさぼっている人がいない、誰もが一生懸命に歯を食いしばってスポーツ根性で必死な顔をしている世の中に、私は生まれたくないですね。

私は他人がいくら怠けていようが嫌な気持ちはしません。自分も一緒に怠けられる世界の方が、よほどましだと思います。