スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

in silence

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

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サイレントテロという言葉がある。若年世代が既存の社会規範やスタンダードな生き方に追従せずひたすら不参加を貫くような姿勢のことを指す?らしい。定義や解釈は色々とありそうだが、消費しない若者、結婚しない若者、仕事や社会活動に興味がない若者という語られ方をされるものが当てはまるのだろう。

子供を持たない選択をした私もこの一部なのだろう。サイレントテロの根幹にある「生まれたら可哀想」という考えが私にもある。別に自分の人生が不幸だとは思わないが、自分は運よく対人関係や社会の害悪な部分を回避してここまで来られたが、同じような性格が私の遺伝子から再生産されたら、今のコミュニケーション地獄社会ではおそらく耐えられないだろうと思うからだ。そして、学校や部活などに親としても二度と関わりたくないという学校嫌悪があるので、利己的な都合によっても子供を持ちたくないと思っている。

物欲のなさも私には強く当てはまる。物を買う、持つ、そういったことに特に喜びを感じない。中高くらいまでは嫌でも周りと比較されて育つので、マウント人間になりかけた時期にこうした物欲人間だったこともあったが、今は他人の経歴とか学歴とかが一切自分の人生に関係ないことを十分に知ったし、そもそも、凡人の次元でこの社会で勝利したところでその先に更なる賃労働が待っているわけで、勝利自体が意味をなさないことを感じている。このあたりは電通事件が明らかにしてくれたことだ。

私の喜びは商店街やディープな街を歩くこと、交通探訪、飲食、興味のあることについての勉強程度、全部自分一人でできてしまう究極の孤独志向。もちろん知り合いも何人かいるけれど、概ねこのタイプの人間だ。だからテレビなどを見ていてもちっとも自分の思考軸に合わないし、テレビで注目されることやバラエティー番組が一切面白いと思わない。流行にも興味がなく、みんなで同じことを共有したいみたいなこともないので、ハロウィンやクリスマスに渋谷に行くこともない。当然、組織活動にも興味がないので、仕事にも仕事の人間関係にも人脈にもまったく興味がなく、ひたすら有休を消化して毎日定時退社している。

家も欲しくないし子供も持たないので、結婚したとしてもお金は趣味に使う程度、月20万円も稼げれば十分に生活できてしまう。だから昇進の必要も一切ないし、むしろ労働時間や職務範囲をもっと減らしたり限定しても良いような気がしている。それで特に不満もないし、日常が満足だとか不満だとか一々考える余裕がないくらい、毎日散策や飲食のことを考え、歩き、遊んでいる。他人に期待しないのでイライラすることもほとんどなくなった。親とか職場の人間を見ていると、やっぱり機嫌の変化が激しい人が多いし、まともな人生を歩んでいるとストレスがたまるのだろうなと改めて感じるところ。

これからもこういう姿勢で生きていくのだろう。来年で29歳、ここから心機一転してファミリー志向になるとは思えない。育児、子供の成長、子供の活躍、労働を媒介とした人間の存在意義に対する幾多の疑問と違和感を経て、もはやそんなものに期待することも出来なくなった。権力固定型の老人中心社会で、私のようなサイレント人間はますます叩かれていくのだろう。別に勝手にそうすればよいが、社会的排除の動きがいずれ出てくるかもしれない。その時がこの国を出ていくタイミングか、死ぬタイミングだろう。ただ、サイレントの絶対数が増加し続けているので、そう簡単に旧世代や老害による強制執行は行われないと思っている。