スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

分岐点はどこへ

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


私はこの10年で性格が一変した。10年前は典型的な自信過剰人間で、ちょっと学校の競争社会で優位に立っていた時期があったからといって、もともと社会不適合者タイプの人間なのに無駄に社交的に振舞ったり、普通に就職して会社組織で上手くやって結婚生活も家庭も手に入れてなどとバカみたいな人生設計をしていた。夢だ努力だと呪文のように高校から言われていたのもあったかもしれない。

それが今では人間社会への興味は皆無、世間体や地位への興味も皆無。あるのはひたすら街や駅を歩きまくったりすることと交通に関することを調べること、食べること、飲むこと、ほとんどそれしかない。飢餓や貧困、格差に対する問題意識はあるものの、移せた行動は微々たるもの。労働に対する向上心も皆無。そもそも人間社会で自分が評価されることについてどうでもいいとしか感じなくなってきている。承認欲求もゼロなので、この通り、色々とコンテンツを量産してもテーマがちっとも大衆向けじゃないし人間性悪説を前提としたニヒリズム的な論調なので一般社会からはだいたい侮蔑されるようだ。

もともと私は幼少期から人間や組織への興味が薄く、幼稚園の時点で運動会が大嫌いで泣きわめいたりサボる理由を考えたりしていた。小学校に入っても終わったらすぐに帰っていたし、趣味は乗り物全般(最初は自動車が好きだったが自動車は自分で運転できないのと乗りたい時に乗れるものではないので身近な乗り物ではなくなり、自由に利用できる電車に興味を持つようになった)で、特に時刻表とかダイヤ改正とかそのあたりに興味があった。もともと数字が好きだったから図表とかダイヤのロジックとかに面白さを感じたらしかった。

果たしてこういう人間に私がなったきっかけはどこにあったのだろう。これまでも何度もそれを明かそうとしてきたが、結局は曖昧な表現で濁してきた。考えが色々変わりましたねなどと就職面接バカ茶番のようなやりとりをするときも、変化の契機を311あたりに帰結させることが大半だ。実際に311による周囲への影響はあったので嘘ではないのだが、おそらく私の思考回路の方向性や将来展望の方針転換はもっと別のところにあったはずだと、最近考えている。

 

2007年に高校の修学旅行で海外研修に行く。日本と全然違う学校の在り方に衝撃を受ける。この研修でホームステイ体験をすることになっていたので、英語を話せるように英会話に通っており、英語と数学は万国共通だなと感じる。この時期に一時的に友人が多かったので、自分は村社会で生きていけると盛大な勘違い。そして帰宅部だったので一時的に勉強で周りからリードしておりこれもまた勘違い。ここで世間体や社会を気にするようになりせっかくの趣味にあまり時間を割かなくなった。この時期は鉄道業界も結構な過渡期で面白かったのに勿体ない。人生最大の失敗といえる。

インパクトの大きい変化や経験は2年ごとに発生している。まず高校時代の努力神話を崩したのは2009年の大学受験。同じレベルの実力の数人の中で自分だけがセンター試験で大きく失点。たかが択一式の試験なのにどうしても点数が思うように取れない。これに納得できず2度リベンジするもやはり中途半端な得点しかできず、この経験により、私は実はちっとも頭がよくないんじゃないかと思い始める(それまでは努力すれば勉強関係は何でも克服できると思い込んでいたし、自分はそれができる能力があると過信していた)。

 

人生は運だなという思考が強まったのは2011年の東北震災。たまたまその地域に生まれ、その地域に育ち、その地域で生きていた人、その地域にその場にいた人がたくさん亡くなった。そして色んな社会の不都合や既得権が表に出てきた。その時は無知な学生だったので原子力のことも既得権社会のことも経済のことも知らず社会は健全だと洗脳されていたので、自分の中にある価値観や既成概念が総崩れした。何もできない無知な自分と震災を何事もなかったかのように無視する大衆、研究室で原発と環境評価についてレポートしたときに、いつまで地震のこと言ってんだよと茶化してきた大学の同期たち、大学がまったく無価値であることを痛感した時期。もちろん自分の価値も。

 

やはり2年スパンで何かが起こる。2013.この年はニートを経験した年。就活セミナーで軍隊のように横並びで意識高い系ふるまいをする人間集団に吐き気を感じ、3分で退場、そのまま大学の勉強と街の放浪だけしているとあっというまに既卒になりニートに。結局は親戚の年寄りの手伝いをしたり全国を旅しながら適当に過ごしていく。就活代行業をしていたきっかけで今の事務所で働くことになるも、知人がそのせいで内定を逃し徐々に鬱状態になったりと変化がよくもわるくも多かった時期。この段階で労働意欲はほぼゼロで、できるだけ社会や人間と関わらずに無難に生きていきたいと思うようになり、今後の健常人生を諦めることになる。それが自発的諦めなのか受動的諦めなのかは不明だが、少なくとも今はまったく社会的成功や子孫繁栄に対する意欲はない。

 

2015年は介護の一年、祖父母が次々に闘病生活や介護生活になる。親が介護鬱になったり対立して離婚の危機になったりする。色んな事例を聞いたり人の相談に乗ったり自分も相談したり。世の中の夫婦はかなり険悪であることを知る。みんな世間体のためや一時的な勢いで結婚して子供作って世帯もって労働に雁字搦めになって、なんだか持続可能な人間社会を実現するためにすべての精神衛生が犠牲になっているなと斜に構えた感覚を持つ。介護生活を受けていた当の祖父母は最後は闘病で鬱になって悲観論者になっていた。真っ当な人生にこだわり色々なものを抑圧して、最後は自分の人生を不幸だったと締めくくる。。。これが人生なんだろうか。そんなことを思った。労働では上司に酷いパワハラをされ退職寸前になったり体重が減少し始めたりした。知人の友人のメンヘラから色々と相談を受けたり八つ当たりされたのもこの時期。すでに恋愛とかそういうものに対する意欲も失っていた。

 

こうやって受験・大学・就労・労働・恋愛・家庭と色々な段階に対するゴールの虚構性を目の当たりにしてきたこれまで。介護生活は区切りを迎えたものの、2017年に遅れながらも電通社員自殺事件を深く知る。東大卒でいかにも人生勝ち組のようなオーラを放ち、充実してそうに見えたこの人物が、やばいくらいのパワハラをされて自殺したという現実に、日本の自殺者年間3万人・韓国と同程度という実態がシンクロする。この会社、男性社員同士のパワハラでは靴を舐めさせられていたとか…終わってるな。。。もはや人間じゃない。この世界自体が終わっている。頑張るとか序列とかそういう問題以前に、人間が人間を支配している時点ですべてが搾取社会、出来レース、茶番なんだ…そんな感覚に包まれる。大津から始まった悲惨ないじめ問題もちっとも収束せず、胎児の段階でがん細胞みたいになったクソガキが猛威を振るっている実態を知る。実際に、子供食堂に見学に行ったとき、小学1年生くらいの子供が人を見下したり人種差別を仄めかしたり、頑張っている人を馬鹿にするような発言をしていた。生誕自体が終わっているのではないかという反出生主義を知ったのもこの時期だ。ただ、だからといって鬱になったりはしなかった。なぜなら私は基本的にオタクだからである。自分の好奇心に従って楽しく過ごせれば周りからどう思われようがどうでもいいやという思考を逃げ道にできていた。それがなかったら今頃自殺していただろう。本当に助かった。ありがとう街・ありがとう放浪・ありがとう電車・ありがとう酒。この年はAIについて勉強する機会も多かったので、猶更そういうことを思う場面が多かった。


さて、結局自分の方向性を決めたのはどれだろう。少なくとも2009や2013は能力的な問題なので2017のインパクトによって全部包括されるだろう。社会については2011、人間関係・人生については2015だろうか。2015と2017の存在感が大きい。敢えていうならどっちだろう。全部を頑張ったとしても待っているのは人間による人間への侵略と破壊、相互消耗。そう考えたらやはり2017だろうか。2013の労働ゾンビ大行進が2017の観察眼に投影されているともいえる。2017ということにしておこうと思う。