スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

年功序列との出会い

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


労働者になるまで、まったくと言っていいほど年功序列の社会に身を置いたことがなかった。小学校のクラブ活動から中高の部活、大学のサークル活動など、一貫して不参加を表明し、それにより迫害を受けることもなく、幸運にもこうした団体行動を忌み嫌う人間が集まる学校環境にいたので、濃密な人間関係を概ね回避して育ってきた。中高は問題を起こせば即退学になるような学校だったので年長者の目立った権力行使は見られなかったし、教員が過剰に生徒を圧迫するようなことも少なかった。それでも一部は部活動や学校行事に参加し、根性論の世界で苦しみながらもそれを青春だと信奉している様子だった。

こんな育ち方をしているので、年功序列がここまで社会・労働社会に浸透していることに、気づいてから数年が経過した今でもまだまだ違和感を拭えない。そもそも、年齢が上だからなぜ偉いのか、もちろん親など年長者に対する敬意はあるが、それは年長者だから敬意があるわけではないし、年下の親族にも友人知人にも敬意はある。友人知人は年齢もバラバラなのでなおさらだ。年齢が上だから卑屈になったり媚びるとか、年齢が下だから横柄にするとかそういうことは一切しない。

けれども、それはマイノリティであることがわかった。多くの人が団体行動を好み、先輩や後輩と上下関係を構築しつつも同じリズムで行動する人の多さ、オフィス街の飲食店は明らかに敬語とため口が混ざった会話が多数派だ。互いに自分のポジションと強弱を常に意識しながら人と関わることを当たり前のようにこの社会の人々は繰り返しているが、本当に楽しいのだろうか。意味もなく雑用を命じたり、対価も支払われないのに忖度させられ、それをさらに自分から望んだり楽しいと思ったりするなど、もはや奴隷に近い。

もちろん後から入ってきた社員に食事をご馳走したりすることは私もあるけれど、普通に丁寧語で会話するし、何か年齢が上だからという理由で理不尽な負荷をかけたりすることはしない。エレベーターや通路も入口に近い人から乗ればいいし、道を譲る暇があったら先に一人通り抜けることができるだろうから、そういう遠慮もさせないようにしている。それで何か不満ということもないし、後輩に対してくだらないマウントを取ったり上から目線で評価しようとも思わない。単に、誰もが生活のために労働しており、偶然この事務所に集まっただけ、程度にしか思わない。

こういう姿勢を批判する人は多い。人を育てるだとか組織の一員である自覚だとか、そういうわけのわからない根性論を前面に出して、結局は年長者がやりたい放題赤ん坊のように好き勝手振舞いたいだけなのを正当化する場面がおびただしいほどに存在する。そしてそれが社会の常識になってきている。その証拠に、親しくもない若者にため口や命令口調を聞く老人、ハラスメントを平気で繰り返す老害などが後を絶たない。年齢が下だとわかると突然ため口になる人は特に目立つ。

教員なども、基本的に学生に丁寧語でいいのではないかと思う。逆に、学生が何か反抗的な態度(理不尽なもの)をとってきて埒が明かなくなったらきちんと法的措置や退学措置を取ることができるようにすればいい。下手に上下関係を作ればそれを利用して体罰やハラスメントに走る人間が当然現れるし、子供もそれを見て育つ。会社も同じだと思う。結局、年功序列は閉鎖空間における強弱関係や搾取関係を正当化する凶器になってしまっている。