スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

努力教と費用対効果

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


どうせ私立に行くんなら最後の一年だけ勉強して後は遊んでいればよかったのに、お前も本当要領の悪い人生だよな。

国立大不合格が決まり私立大への進学が決まった際に当時の同級生から言われた言葉。本人は皮肉を込めて言ったのだが、その一言に今は妙に納得している。というのも、私がすっかり頑張らない側の人間になってしまったからだろう。

学校にいた時期は何でもかんでも勝負させられ、それによって満足感を得ることが正義であるかのように洗脳されていた。結果を出し、自分がすごいと思われることこそが満足だと。受験・就職・昇進・家庭とずっとそれを続けることで勝ち続けることが正義だと、当時の私は思っていたし、だからこそ見栄やプライドを満たすための勝負にかなりの資源を投入した。

結局、途中で勝ち続けることは不可能だと感じ、さらに価値観の転換で「趣味>承認欲求」が確定的なものとなったことから、私は社会的地位や他社の承認に対する執着をやめた。それが就職活動の時期と重なったので、私はしばらく無職生活をすることになる。

当然、当時の私は頑張っていなかった。いい会社に入って同級生や友達の中でも勝っていたいという気持ちは完全に崩壊していた。できるだけ対人折衝のない人生を送りたい。人間関係が面倒な仕事には就きたくないとしか思っていなかったし、周りがどうのこうのとか考える興味さえもなくなっていた。

そして高校時代の私のように相変わらず切磋琢磨している周囲の人物が、やはり就職を機に何人もおかしくなった。おかしくなったというと完全崩壊のような感じがするが、その程度は異なり、多少精神を病んだだけの人から、社会不適合になってしまった人、サイコパスとして社会的地位にしがみつくことを選んだ人など、様々だ。

労働者になって、ここでもさらに、これまで順調だった人間が脱落する。ハラスメントを苦にして突然引きこもりになったり、鬱で病院通いになったり、人間関係トラブルが顕在化した人など様々だ。いずれにしても、ここまで社会的地位や順風満帆な人生を価値基準にしてきた人物が、軒並みそれらを獲得できなくなっていく現実と葛藤していた。

電通の社員・高橋氏が職場のハラスメントを苦に自殺した事件が話題になった。彼女は東大卒で電通入社、私のような無能とは能力に天地の差があるが、少なくとも高校生時点では私と同じセンター試験を受験していた国立志望者だった。そして大学生活は順風満帆、就職も大手企業に内定、パワハラで自殺。

一方、私をいつも都合よくこき使う友人は、私にウェブテストや卒業論文を押し付け、自分は大学生活を謳歌し、女子大から資源系企業の一般職に内定、運よく社内秘書業務に配属され、仕事は上司の予定管理とお茶出しと出張土産選びくらいのようだ。ほぼ定時退社でき、有休も余裕で消化、月収30万円近い。

この人物と高橋氏の分岐点はどこだったのだろうと、私は常に思う。失礼ながらも努力とは無縁の世界に生きてきた私の上記友人、膨大であろう努力をして薄汚いジジイに媚び続けた結果最後に死ぬことになった高橋氏。日本人が賛美する「努力は報われる」という根性論によれば両者の結末は真逆であるように思われるが、このような結果は多々発生する。

社会に対して完全に意識低い系を貫いている私、積極的に就活もして大企業に入るも残業だらけでちっとも遊べない昔の同期、給料の差はあるものの、それが人生を変えるほどの差はない。結局、受験だの学歴だの小さな勝敗で一喜一憂していても、その先に待つのは年功序列であり、老害社会であり、同調圧力であり、圧倒的報酬によって救済されることは極一部の労働者を除けばまずあり得ない。だとすれば、頑張る意味は何だろう。勝ち負けにこだわる意味は何だろう。

東大に入った、大企業に入った、年収が1000万だ、結婚した、子どもができた、そんなことをフェイスブックで自慢するためにしかめっ面で生きていても、財産を持っている人間にはかなわないし、ニッチな産業で緩く働く人にも費用対効果でかなわない。何が勝ちで何が負けなのかはわからない。結局のところ、不戦勝だけが唯一の勝利なのではないかという毎回の結論に至ってしまう。