スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

なきごえ

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

電車で赤ちゃんが泣いている。周りの乗客が親子を白い目で見る。まるで赤ちゃんが迷惑物質であるかのように。私はそれに対して何をすることもできない。ただひたすら、せっかく生まれてきた命なのにこれほど疎まれる存在になってしまうことに残念な気分を感じていた。

赤ちゃんが突然泣き出した。とても大きな泣き声。正直私も大きな声が苦手なので少し苦しくなってきた。

次の瞬間、赤ちゃんの泣き声と共存していたはずの、電車の走行音や乗客の雑談の声が一気に消失する。赤ちゃんの泣き声以外、何も聴こえなくなった。この感覚はいったい何だろう。おかしいな。そんなことを考えつつ、赤ちゃんの泣き声に耳を傾ける。

よく聴けば、全然うるさくないのである。むしろ、その声だけを聴くことで、泣き声にも種類があることが分かる。何かがほしい、何かが足りない、寂しい、悲しい、楽しい、色々なことが対応する音で聞こえてくるのだ。聞いていると、まるで対話のような感覚になることができた。

赤ちゃんの泣き声は病んだ。すると、元のうるさい環境にもどった。乗客のバカでかい声、ドキュン親子の大きな声、電車の騒音、雑音というべきごちゃまぜの音響が耳を襲う。

また赤ちゃんの泣き声がした。途端に、赤ちゃんの泣き声と共存していたはずの、電車の走行音や乗客の雑談の声が一気に消失する。赤ちゃんの泣き声以外、何も聴こえなくなった。

この繰り返しを結局その電車の終点まで繰り返した。終点につく頃には、本当にうるさいもの、邪魔なものは何かということを、十分に理解していたのだった。