スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

生産性とは

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

「○○は生産性がない」と、特定の対象をその生産性の不在により非難する意見が出ているが、他人の生き方をどうのこうのいうことに対する気持ち悪さもある一方、生産性がないことが悪いことだとする風潮にも気味悪さを感じる。

そもそも、生産性がないことがなぜいけないことなのだろうか。生産に寄与すること、何かを生み出すこと、それがそんなに素晴らしく必要なことなのか、生産する人間がいればそれを消費する人間もいる。富は生産と消費があって成り立つものなのではないのか。だったら生産をたくさんしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。そういう考えができないものかと思う。

生産性のある生き方をしている人がそうじゃない人をズルいだの協調性が ないだのという理由で非難するのであれば、その人も生産性に依存する生き方をやめればいいだけだ。結局、みんな我慢して子供を作ったり雇用にしがみついたり既存の人間社会の存続を維持しようとしているんじゃないのかと思ってしまう。

学生時代に学校行事に対して「全員参加」「土日も練習」と、他人に強要することで満足感を覚えているリーダー格の人物が何人もいたが、本当に本人が満足して楽しんでいるのであれば一人でやればいい話で、他人を巻き込んでまで自分が理想とする秩序を守ることほど厄介なことはない。あなた一人でやればいいんじゃないですかと思ってしまう。

生産性がないといわれて「消費することの何が悪い?」と気軽に答えられるような社会になってほしいけどそれは無理だろう から、私はそうやって切り替えしていきたいと思う。他人がどんな生き方をしようが私はまったく迷惑しないし、顔を真っ赤にしてムキになってまで誰かを名指しで生産性がないと非難するって、よほど鬱憤がたまっているのかな?