スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

乳児ハラスメント

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


学校は人を破壊する場所だと思う。たとえば、子供は純粋で可愛いと一般的に言われるけれど、小学校2年生くらいになると、授業中のクラスメイトの発言に「調子乗ってる」「変なの」「うわあ」「バカじゃねえの」「キモ」という否定的なヤジを飛ばす人間が既に存在する。幼稚園児でもこういうことをする者はいるので、実際には、人間が腐るのはもっと全段階なのかもしれない。

幼稚園以降の人間が他者に対して否定的・排他的思考を身に着け、それを言語を通して表出する変化は、絶望的に不可逆的だ。汚れを知らない乳児が組織に従属して性格を穢し、そのまま社会に適合していく、その逆を歩むことはこの世界ではほぼ不可能であるし、そんなことをしても本人が生存競争に耐え抜くにあたっては概ね損だとされる。

幼稚園や学校などの教育機関は社会の縮図だといえるが、それは腐った社会への耐性をつけさせ、それがあたかも正義・正常であるかのような錯覚を与えるためのものにすぎないと思う。冒頭の小学2年生の話も、結局は大人が同じことをしている。出る杭は打たれるといわれる社会を見ればそれは明らかだろう。先生は小学2年生に注意をするが、自分もどうせ誰かへのヘイトを我慢せずにはいられない鬱憤だらけの人生を送っているわけだ。

こうなると、社会が組織・専ら人間組織を中心にそれらに強大な権力を与えることを前提に回っているのであれば、人間が幼稚園入園時点で人間でなくなってしまうのは避けられない。実質どんな生命も寿命は長くて4年ということだ。「享年4」…何の冗談だと思うかもしれないが、長寿大国と誇るこの世界の住人は既にそのおおよそすべてが死んでいるのではないか。

育休中の人が職場に顔を出すたびに必ず自分の子供(乳児)を連れてくる。周りは無条件にかわいいとか子供は持つべきだねという。果たしてこの人たちが5年後・10年後のこの子に対して、同じまなざしを向けることがあるだろうか。ないのであれば、そんな無責任なことは言わない方が良いだろう。人間の寿命は4年なのだから。