スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

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別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


伊勢原に所用ができる。新宿から伊勢原へは一般的に小田急線を使う。急行で約1時間だ。ただ、何度もその経路は使っているので、今回は高速バスを使ってみようと考える。新しくできた新宿バスターミナルへ向かった。

バスは新宿駅を出ると、東名へ入るための進路をとる。眠かったので少しうとうとしていたら、あっという間に東名川崎のあたりだった。十分に眠ったので、このあたりからは少し目を凝らして景色を見てみようと思う。マイカーで通ることはあってもバスははじめてだ。普段見慣れた東名川崎~横浜町田の景色がなんだか別物に見えてしまう。

隣の席の乗客が小声で「もう限界だ…」と呟いた。力を失ったようなその一言を 確かに聞いた。何が限界なのだろう。仕事なのか、家庭なのか、友人関係なのか、よくわからない。ただ、この隣客が何かにつかれているのは確かだった。私もふと、もう解放されたいということを意味する言葉を自然に発してしまうことがあるので、妙に共感してしまった。

結婚して子供もいる知り合いが、昨年鬱になった。仕事で不遇の扱いを長年受けて精神が疲弊していたところに、親の介護が重なったそうだ。結婚相手の両親と自分の両親の4名を一気にかかえこみ、子供も小さいので子育てにも追われている。

家庭にも職場にも社会にも、どこにも居場所を失い、かつ逃げ場もない。介護はともかく(ともかくという言い方はおかしいが)、子供を設けてしまった以上、子供の人生はない がしろにできない。そんな誠意を最後の活力の砦として踏ん張っている。

その知人は今どうしているだろうか。そんなことを考えながら車窓を眺めていると、綾瀬バスストップに到着した。考え事で頭の中が混沌としている中での旅はあっという間である。

一切連絡を取らなくなった別の知人はどうしているだろうか。理由はないが、今日は縁が切れた人間や疎遠になった人間のことをよく思い出す。地方に知人が多いからそういう心境は旅先で起こりやすいのだが、今日は違った。とはいえここも随分と郊外だから、普段の雑踏生活とは少し異なる。

イヤホンをつけて、音楽を流してみる。ランダム再生をすると、米米CLUBのtransferが再生された。とても懐かしい曲だ。一時期かなり聴いていた。高速バスに乗って景色を眺めているときにちょうどいい曲である。

小田原厚木道路が分岐する。昔親戚の家に行くときに車で通ったことのある道だ。小田原線と交差する。国道246号とさらに交差する。交差と言ってもオーバーパスまたはアンダーパスでそれは一瞬の出来事だ。忙しく往来する自動車に余裕のなさを感じてしまう。

左手に東海大学の病院が見えてくる。市民の森をすぎ、右手には丹沢の山々が現れる。こういう景色を見ると、随分と遠くに来たのだなと感じる。仕事の用事で来ているのに、自分が何をしているのかさえも忘れてしまうくらい、ぼんやりと道中を楽しんでいる。時々、こういう気分になる。

伊勢原バスストップが近づいてきた。バスは減速して待避線に入る。滑らかに減速し、停車位置に到着した。下車するのは私だけだ。私を降ろすとバスは箱根方面へ去っていった。とても面白い時間だった。高速バスも悪くない。特に東名用賀までの迷路のような行路は何回乗っても飽きることがない。

圏央道中央環状線など、道路網がかなり充実してきている。首都高は怖いが、使いこなせるようになると面白いのだろう。首都高1号羽田線も、近い将来、空港リムジンと鉄道アクセスの激戦が予想される。道路網からも目が離せない。

伊勢原で2時間ほど用事を済ませ、都内へ戻る。夕刻のハイウェイバスにも憧れるものの、座席の確保や予約が億劫になり、結局小田急の特急で都内へ戻る。また今度、何の用事もない時に、バスでこのあたりに来てみたいと思う。