スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

50歳の私へ

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


最後の世代といわれた私も、もう50歳を迎える。

平成不況のもとで育ち、あらゆる社会の崩壊・崩落をこの目で見てきた世代だ。就職難によるブラック企業の台頭、世代間格差による垂直対立、人類の誕生ボイコットと言われた非婚化と少子化、消費欲求の失墜と公共社会への不信、それらによる子供社会のスラム化、自殺問題など、この上ないセンセーショナルな出来事が叢雨のごとく襲来した半世紀が過ぎようとしていた。労働や消費、結婚、家庭への憧憬が消滅した私たちの世代は、最後の世代といわれている。

私たちは人生に察しがついていたので、とにかく自分たちの経験や社会を反復させまいと試みた。結婚はしない、家は買わない、子供は持たない、こうした行動はボイコット行動と揶揄された。先代 が続けてきた命のリレーを絶やしていると非難されたのだ。世紀末には1億人以上だった人口も、今では6000万人を割っている。

小中学校は三大都市圏以外でほぼ壊滅し、都市部では治安の悪さを避けるために教育転居が流行していた。こうした状況を凄惨な社会だと、シニア層は非難した。相変わらず相対人口が最多な高齢者は、政治や世論を牛耳っていたので、年功序列は根強く残っていた。だから余計に自分たちの経験を模倣させたくて必死なのだ。模倣させることができれば、それが正しいもの、正しい価値観であると認知しやすいからだ。

一方で、先代が作り上げた集団主義的な日本文化は、それが不況による閉塞感と年功序列に組み合わさった時、学校に通う生徒や若い労働者を自殺に追い込んだ。命のリ レーのために作られた秩序は、そのバトンを途中で撃ち落とす兵器へと変わっていたのだ。こうして墜落したバトンが50年間で無数に存在した。

そして、その反復が、私たちを名実ともに最後の世代にさせたのだった。今や人類という存在をどのように終結させるのかという課題まで出現している。介護と天国への送り出しはロボットに任せるとして、あとは何を議論していくのだろうか。