スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

21世紀とは何だったのか

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


911から始まった21世紀、当時の自分は10歳だった。その後、中越地震、東北地震、就職難、原発事故、学校における非行問題、過労自殺と色々な問題が発生した。

そして今、国際情勢が緊張化している。週末の北朝鮮の動き次第では情勢が大きく変化しそうだ。日本への影響も否定できないし、自暴自棄になった北朝鮮が何をするかは未知数だ。

明日死ぬかもしれないという冗談のような危険性を常に考えなければならないほど、国際情勢はどうしようもなく緊迫化している。スイッチ一つでミサイルを飛ばし、国一つ簡単に消滅させられるような技術を大国が互いに持ち、威嚇することで均衡が保たれている社会。原発と同じで、処理しきれない膨大な危険物を拡張する道を人間は選んでしまった。

これらの礎となった出来事は概ね20世紀に起こったものだが、それが現実の脅威として人間に判断と選択を迫るようになったのが21世紀だろう。

もし明日戦争が起きたらなどという妄想はしたくないが、もし戦争が突然勃発し、その影響で呆気なく死んでしまったとしたら、その運命はかなり前から決まっていたのだろうと思う。津波原発もあくまでも想定外の自然の驚異だとされているが、そうはいっても人間の制御を調節したものを人間が手にした際のリスクの一部であることは変わりない。

こうしたものを作り出した20世紀。その責任を取るのが21世紀なのだろうか。だとすれば、20世紀で世界や人類の存在、その存在そのものを司る物語自体が、終わっていればよかったのかもしれない。それ以前に、21世紀など本当にあったのだろうか。今この瞬間の私が認知する世界でさえも、死後の幻想なのかもしれないと、ふと考える。