スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

いつまで繰り返すのだろう

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


学生時代、毎年毎年運動会や文化祭が行われ、実行委員がイライラしながら罵声を浴びせながら土日の練習を強制する姿を見て、毎年必ず行う行事がうっとうしいものだ、苦痛なものだと早々に感じていた。

そもそも、記念日や定例行事開催日というのは、本当に記念日や行事日なのだろうか。そんなことは1年を365日と勝手に人間が決め、日にちを勝手に人間が決め、曜日を勝手に人間が決め、そんな人為的な後付け科学・習慣ができたからにすぎないし、本当に毎年毎年まったく意味のうえで同じ日など来ないような気がしている。

だから記念日なんて廃止した方が良いなどといえば、四方八方から罵声が飛んでくるに違いないので、そんなことなかなか実社会でいえるわけがないのだが、ふと電車の中で思いついたので書いてみた。

話は変わる。毎週、妹はどこかに出かけている。もう働いているのでどこで何をしようが本人の勝手なのだが、実家にいながらも家事は一切手伝わない、部屋はごみ屋敷、それでいて駅までの送迎や朝の目覚ましは親や私に頼りっきりという状態で、母親が苛立ちを見せる。家にいたらいたでリビングでイライラしたり、ちょっとしたことで声を荒げたり、同僚の悪口をいったりと、ロクなことがない。

妹がいないところで妹の生活態度を非難してイライラする母に、以前「言ってもわからないやつに何を言っても無駄だし、イライラするくらいなら世話をするのをやめればいいのでは。恩を仇で返すのが当たり前になっているから本人もそれを利用するのでは。それに諸々の活動を見れば発達障害の可能性も十分あるでしょう」と意見をしたことがあるが、そんなんでどうやって生きていくのとか適当な理由をつけて断られた。

そしてそうやって文句を言う母親を見て、父親が今度は機嫌が悪くなる。そして私に母親の愚痴を言いに来る。父親も父親で、母親の細かい挙動に過剰反応を示し、それへの嫌悪感をサイレント不機嫌や私への愚痴で発散する。

母は妹に、父は母に依存している。他人なんだし相手の言動なんてどうでもいい、そう思えないから日々の一喜一憂のメイン要素に家族の一員を置いている。そして気持ちの浮き沈みはすぐにコロッと変わるので、同じようなことで数日おきに浮き沈みを繰り返している。

私は母の態度を見ることで子供を持つことの、父の態度を見ることで配偶者を持つことの、妹の態度を見ることで感情のままに生きることの危険性を日々感じている。そして私はこの3人の誰に対しても執着心がないので、ひたすら相手の発言に同調し、うんうんと頷いているだけなのだ。両親も、互いに相手を尊重するという気持ちの余裕はないので、子供を挟んで平気で相手を非難したりする。それが子供の成長や人生にどれほど致命的な影響を与えているかがまるで分っていない。50年以上も生きてそんな基本的なこともわからないのだから、人間なんて、家族なんてそんなもんなのだろう。

さあ、こんな茶番をいつまで繰り返すのだろうか。私は何度もいうように、実家を見て皮肉にも家族への幻想が消えているから、家の中の自らの役割がなくなったら静かにここを去っていくことになるだろう。そしてその時が、賃金奴隷を辞める時だと思われる。