スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

one of them

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


友達って何だろうと考えることも少なくなったが、それでも、久々に昔関わっていた人に会ったり人と会ったりすれば、人付き合いって何だろうと考えたりする。私は交友関係が狭い方なので、周りは友達の多い人ばかりなんだろうなという漠然としたイメージを持っていた。世の中は友達が多い人が多くて、みんなSNSとかで誰かとつながっていて、親しいと。実際はそんなわけないし、誰もが親密性についての欠乏や諦めをかかえて生きているわけだけれども、じゃあ何を根拠にそういうことがいえるのか、何を根拠に「実は世の中の多くの人がそこまで友達というものに恵まれていないんじゃないか」といえるのか、はっきりとわからずにいた。その疑問に対して、不確かではありながらも一 つの仮説を立ててみたので、それを書いてみる。

たとえば毎日スケジュールが埋まっていて、色々な集まりやイベントに顔を出して、常に人に囲まれている人がいたとする。その人は友達が多いように見えるし、とても人に恵まれているように見えるし、実際に周りの人からの信頼もある。けれども、その人は一対一で付き合う知人友人がいない。必ず複数人単位で集まってにぎやかな空気を楽しむ。趣味にしても仕事にしても同窓会にしても、コミュニティーへの所属を通して人と関わっているのだ。

身の回りにこういう人は少なくない。とても充実しているように見えるけれど、じゃあ誰かと一対一で食事をしたり、特定の人と交際しているかといえば、そうではない。そう だからこそ、全然違う世代や所属の人と偶然の縁で一対一の付き合いを持つことがあるようだ。理由はよくわからないけれど、私を定期的に誘ってくれる充実型人間がいる。その人は私なんかを誘わなくても人間関係に十分満足しているような生き方をしている。それでも誘ってくる。それはなぜか。おそらく一対一の付き合いができる人がいないからではないかと思う。ワイワイやっていても、その賑わいが静まれば孤独に苛まれるとすれば、孤独な自分でいられる人間関係が必要になることもあるだろう。

みんなで集まって何かしようという盛り上がりは多い。イベントも多い。けれども、その中に、一対一で何年も関われる相手を持つ人はどれだけいるだろうか。もちろんそんな人は普通に ありふれていて、私だけが世界で特異的に孤独な人間なのかもしれないが、実際に何人かの充実型人間を見ていると、必ずしもそうではないように思える。数名以上の複数人で集まれば盛り上がれるものの、その中のランダムな一人とテーブル越しに向き合ったら、何をしていいかわからなくなる、そんな人間関係も世の中にはそこそこありそうな気がしている。

私は3人以上の人間関係が苦手だ。自分以外の2名が冗談でも真剣でも対立構造や議論になり、私にいずれかの味方になることを要求してきたりすると、もうお手上げ状態となってしまう。2人であればこちらが相手の気持ちだけを察しながら話を進めていくし、もちろん自分の意見の表出もしやすい。会話の誤解を解くことも一対一であ れば焦らずにできるから、私は一対一の人間関係が結構好きだ。けれども、一対一の人付き合いを多くの人はそこまで求めていないのか、あるいは集団所属の方がより魅力的なのか、一対一の人間関係を構築することを人に歓迎されるケースがあまり多くない。