スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

保健室の不安

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


ラジオでベーシックインカムの話が少しだけ出ていた。ベーシックインカム導入に賛成のコメンテーターが一通り説明し、その場のラジオパーソナリティが意見を言う流れになっていたのだが、話の中で「みんなが働いているときに休んでいることの不安を感じる」というものがあった。つまり、平日に代休などを取っていると、周りが働いている日中に街をプラプラしていることが後ろめたかったり不安に思ったりするというものだ。

続いて、学校の保健室の話になった。保健室も教室から逃れられる重要な場所だが、そこに来る安心感と同時に、みんなが勉強しているのに自分がそこにいない不安を覚える場所だという。多くの人がそう思っているのかはデータがないのでわからないが、おそらく「周りと違うことをする」不安を持っている人は多数だろう。そしてそれが集団で義務をこなしている場合は尚更だ。

ニートだった時代、私はこの類の不安を一切感じなかった。むしろ労役がはじまる前にやりのこしたことをできるだけ終わらせておこうと毎日楽しむことに必死だったのである。日本中あちこち旅したし、ネットでブログを読んだりした時間も数えきれない。毎日違うことをやっていてあっという間に終わってしまった。

一方、多くの就職浪人している知人たちはかなり病んでいた。自分が社会からおいていかれている、所属できていない、皆と同じことができていないことに、とても病んでいた。自己嫌悪で精神がおかしくなってしまった人もいた。だから上に書いたような保健室の葛藤は多くの人に起こっている。

私もそういう感情に支配されることが今後あるかもしれない。ないとは言い切れないからだ。横並び指標として迫るものとしては、労働の他に今のところは結婚と育児がある。どちらも私には無縁に終わりそうだが、これをクリアできていない自分に焦ったり苛立ちを覚えたりすることが起きないかの方が不安だ。

皆と同じことをしている安心感さえあれば、多少我慢させられてもその我慢が快楽に感じられることもあるという意見も出ていた。満員電車に苦しんで揺られている自分に満足しているというようなイメージだ。そんなものがあるのだろうか。私にはよくわからなかった。