スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察。個の尊重される社会とは。

奴隷研修を受けた時の話

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/

随分前に精神論を徹底的に叩き込む奴隷研修を受けたことがある。くだらない服装や髪形を全面的に否定され、、次々と暴力的な言葉で怒鳴られるような研修。かなり著名なマナー講師が担当していたが、海外だったら逮捕されてもおかしくないような口調・態度・接し方であり、講師が一番マナーが分かっていない感じだった。体育大学出身でいかにも根性論主義者という感じだった。

こうした研修を取り入れている職場なので、さっさとやめた方が無難だなとは思った。とはいえ、大半の事業所がこのようなくだらないゴミ研修を持て囃しているのだろう。でなかたら、今頃研修期間なんて消滅しているはずだからだ。科学的根拠のないくだらない時代錯誤のスパルタ方式で何の採算も考えない低能が練り上げた茶番。小学校の組体操並みにくだらないが、もはや人間に与えられた役割がなさすぎて、そういう行為に縋りつくことで人間の価値を見出しているのかもしれない。

年功序列の解体は喫緊の課題だと思う一方で、永遠に解決しない課題とも思える。既に若年層でさえ、自分がした苦労を後世に強いる馬鹿が多い。高校の部活でさえ、マイルドヤンキーみたいなのが年功序列に従って粋がっている。それがハラスメントを増長する。治外法権のようになった学校や会社や研修や地域が、どんどん犯罪まがいの暴言と暴力を正当化してゆく。

日本人は我慢が好きな民族だなと思う。「これが社会なんだから我慢しなきゃいけないよ」と誰もが言う。我慢させている人間の横暴にはまったく非難を向けない。それどころか「これくらい我慢できないのは甘え」と、弱者側を非難する。他人に我慢させている主体こそが甘えているのであって、我慢させられている人間が不適応を見せることが甘えではない。なのにいつのまにか立場が逆転している。

体育祭や文化祭になると実行委員が得意になって命令口調で同級生に上から目線で暴言を吐く。「ちゃんとやれよ!」「気合が足りない!」「土日なんで練習こないの?」こういうことを感情任せに吐き出す。あまりに罵声が行き過ぎていたので、実行委員の同級生に「お前がやっていることは単なる自己満足で、誰も行事なんてやりたくないんだよ。人の時間を奪ってまで何の権限もないのに同級生に命令口調。もはや時間泥棒と同じだ。時間泥棒は人の財産を奪っている殺人と同じ、君は犯罪者だよ」と告げたら、顔を真っ赤にして大泣きされ、私が悪者にされた経験がある。周りはどう思っていたか知らないが、もしかしたら我慢させられてることに寄っていたりMの感性を開花させていた人間もいたかもしれないから、余計なことだったのかもしれない。

非科学的な根性論を他人に押し付ける人間には例外なく死亡してほしいと心から願っている。そういう人間が死んでもまったく悲しくないし、とにかく安心するのだ。社会を窮屈にして他人を隷属させることに快感を覚えてそれを文化だと誇っている人間がビジネス界に多すぎる。就職コンサルタント系はほぼそれといってよく、奴隷斡旋業と何ら変わらない。彼らがよく非難の対象として引き合いに出す性産業の方が何億倍もまともな業界だといえる。

我慢に快感を覚えている人が絶望的に多い。お願いだから他人に強制しないでほしいと思う。結局自信がないから他人に強制してねじ伏せたいのだろう。他人の行動が気になって仕方なく、自分の支配下に置きたいのだろう。面倒な人種だと思う。人間なんて所詮は他人同士、わかりあえるはずもないのだから、不可侵条約を締結して互いに踏み込まないのが一番だ。日本人は消費者が勘違いして神様気取りだから、どこまでも私的欲求が社会や市場に介入する。非常に不健全だと思う。サービス業者に怒鳴っている人間や、取引先と喧嘩したことを自慢する人間、早々に人工知能に置換されて死滅してくれることを願う。