スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

読書中に思うこと

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


他人から強いられてやる勉強は面白くないと思う。それを感じるのは読書をする時だ。新書などでいろいろなテーマについて知る中で、それがとても面白いと思えてきて、気づけば何冊も本を読んでいる。これが学びなんだろうなと思う。そして領域横断系の学科に在籍していた自分にとって、これらの多くを大学でも身近に見てきたはずだった。しかし、大学在学中にこれらが面白いと思ったことはなく、せいぜい原発事故の行方が気になって必死に調べていた程度である。結局、課題として与えられたものは課題として脳内で信号処理されるので、好奇心が呼応しないのではないかと考えている。まったくしがらみや利害関係、義務と関係なくなった時、はじめてそれを純粋に学ぼうと思える のではないかなと。

だからこそ、大学で好きなことを専攻しようという意見に、今は違和感を覚える。安易な実学・資格志向はよくないという批判もあるが、どうせ大学で専門に・課題にしてしまえば、よほど知的好奇心が優れていたり指導教員とうまくやっていける学生じゃない限り、それを心から純粋に楽しむことはできないのではないかと。だったら、私立で数百万の学費を払うに値することを専門にして、本当に興味があることはプライベートでいくらでもやればいいんじゃないかとさえ思えてくる。もちろん、実験室じゃないとできない勉強もあるだろうし、共同作業で得るものもあるかもしれない。けれども、多くのことは本から学べるし、実際に私は大学時代よりも今の方がはるかに学んでいる時間が長い。そして遊んでいる時間も長い。能動的にやるのと受動的にやるのは天地の差なのだろう。

繰り返しになるが、だからこそ大学での専攻は、苦しいけれども多くのリターンがあるものにすべきだったと思う。リターンを度外視してまで学びたいことはプライベートでほぼ学ぶことができるし、気持ちを持続させるためにはプライベートで学ぶしかない。特に人文社会系といわれる文系の学問は、大学の課題としてこなすことが目的になると、高確率で真面目に取り組まなくなる。なぜなら大学で学ぶ経済学や経営学社会学などは片手間で終わる程度の課題にしか課されないし、じっくり実社会の特定テーマについて議論したりああだこうだ悩んだりする環境は与えられないからだ。結局、楽をしたい方向に流れてしまう。それを痛感している。

比較的勉強をまじめにやるタイプの私が、4年間でちっとも意欲的に学ばなかったのは、私自身が腐ってしまったこともあるが、徹底的に甘やかされ放任された環境もあるだろう。時間がたっぷりあるから時間の尊さに気づくことなく、どんどん残り時間を消耗していった。探求心を満たすこと以外が目的になると、条件をクリアする最低限しかやらなくなる。だったら、クリアしなければならない条件はハードでリターンが大きい方が無難だ。他人が稼いだ金を情報弱者として搾取されながら消耗していた自分の大学生活、特に学びとの向き合い方に心から反省しているし、受験教育産業の搾取構造に今更ながら恐ろしさをぬぐえない。