スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

ビールの泡

夕食の支度をしていた。品数が多かったので、少しずつ食卓に運んでいく。そろそろ全部そろったかと思ったので、人数分のグラスにビールを注ぐ。ちょうどよいタイミングだと思ったら、解凍するご飯と味噌汁の用意がまだだったことが判明。それらの準備をしていると、注いだビールの泡がなくなってしまった。

私はビールの泡がなくなってもビール自体はまだ残っているし、泡にこだわるのならばその上にもう一度高さをつけて注げばいいだけだと楽観視しているので、特に問題がないと思っていた。しかし、その場に居合わせた家族から出た言葉は「泡がなくなってる…」という悲観であった。

私は場の空気が悪くならない程度の明るさを残しつつ、タイミングを見誤ったことを一言詫びた。詫びれば相手もそれ以上機嫌を悪くすることができなくなると確信していたからである。自分からさっさと非を認めて謝ってしまい、少しでもネガティブな会話を早く終わらせたいという一心だ。

泡がなくなっている…確かに残念なことかもしれないが、表情を曇らせるほどのことだろうか。私にはその気持ちが理解できなかった。外食でさえ、ビールの泡が少なくても文句を言うことはない私は、家庭内での食の在り方にこだわりを持っていない。今あるものを最大限美味しく食べればよいとしか思っていない。泡がなくなっちゃったねえ…とヘラヘラ笑っていられるのならまだよかっただろうが、そうはならないようだ。

人間はイライラする生き物なのだなと思う。私の家族も、私だけが常にヘラヘラしていて、他の人は気分の浮き沈みが激しい。気分の浮き沈みが激しい人は個人的に得意ではない。だから配偶者を持つなら、とにかくいつもヘラヘラ笑っているお気楽な人がいいと思っている。もちろん、真面目さや誠意は必要だけれど、日常生活でイライラしたり他人に執着しないような人と一緒に生活したい。