スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

少子化対策の絶望

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


少子化に関する議論を見ていると、本当にどうしようもないと感じる。子供の数を増やすことに終始し、生まれた子供の人生の質をまったく度外視したべき論が次世代に押し付けられているような感じがする。産業や経済、社会を回すことばかりが優先され、企業だけをやたら甘やかし、企業が都合よく使える人間を供給するために好都合なように大学が改革されようとしている。

すべてが企業のため、資本家のため、既得権のため、そうやって既得権の利益を守るためだけに子供が求められる。戦時中と全く変わらない構造だ。労働奴隷を供給し、搾取するだけならば、人間なんて生まれてこない方が幸せだろう。格差や我慢を正当化し、搾取されている労働者同士が互いを監視している。それを既得権者が何もせずに眺めているのだ。それに気づいているのかどうかわからないが、市民は弱者ばかりをバッシングし、自分の横にいる人間と下にいる人間だけに目を光らせる。自分より強い人間がどれほど怠惰に生きようがまったく批判しようとしない。

社会保障や税金を目の敵にし自己責任論を振りかざし、弱者が衰退する社会・下流全員で我慢する社会・そのうえで少数の勝者が搾取する社会を自ら望んでいるかのようだ。そして自らが奴隷として搾取されているにも関わらず、適当なエピソードを捏造し、自らの経験を肯定する。肯定できないような悲惨な経験が肯定され歴史になっていくので、悲惨なことが伝統になり文化になる。差別や虐待や非行が連鎖している現状がそれを証明している。それが人生だとしたり顔で言い放つのならば、やはり生命の存続をここで断ち切る以外にないのではないかと考える。