スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

男性学との出会い

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


田中俊之氏の「男が働かない、いいじゃないか」を読んだ。男性学については以前から興味があったので、調べてはいたし、男性学が主張するところの内容にはほぼ同意していたので、読んでいて単純に気持ちが楽だったし、自分が考えていることが自分以外の他者によって言語化されていることに、どこか救われる気分になっていた。

なんでもかんでも性別で考える文化は根強い。大学まではずっと共学だったので、性別で何かを分けたり役割が異なるという考えには馴染みがなかった。行事のリーダーは女性が多かったし、成績上位者も女性が多かった。男性が女性を頼りにしたり弱音を吐くことも普通にあった。もしかしたら私がそうだっただけかもしれないが、異性を前にして粋がっている連中はわずかだったように思える。

そんな環境だったから、労働者になっていかに世間や社会が性別にこだわっているかがわかったし、強い違和感を覚えた。そもそも、それまでの人生を振り返れば、「男」という言葉を発することはほぼなかった。何かの契約などで性別を聞かれ「男性です」と答えることはあっても、プライベートの会話で「男だから」などと発言することもなかったし、他者からそういう言葉を聞くこともなかった。

だから「男はみんな」とか「男なのに」とかそういうことを言ったり、女性をイチイチ意識したりする人の多さに驚愕した。異性とわかった瞬間になぜ特別扱いするのか、逆に同性はいい加減に扱っていいのか、強い嫌悪感を覚え、それらに順応することを拒んでいる自分自身に気づいた。これが私の労働組織への不適応の第一歩だったかもしれない。

こういう姿勢でいるので、同性からの評判が悪い。男同士で仕事や肩書の話で盛り上がったり、異性の噂話や悪口を言っている場に、私は絶対に加わらない。バカらしいと思うし、そういうものを生理的に受け付けないからである。そもそも濃い人間関係が苦手なので、変に人の内面やプライベートな話題に触れることを避けているから、同性によくある同調圧力的付き合いが馴染まなかった。

今後もこの傾向が続き、仕事と対人関係にに対して割り切った姿勢が続くだろう。村社会人失格のレッテルを貼られ、早々と退場するかもしれない。それ自体は全然かまわないと思っているのだが、この本でも指摘されているように、無職男性・正社員や総合職の労働者以外の男性に対する世間の目はかなり厳しい。市民権が与えられないかのような評価をする人も少なくない。比較的理解のあるだろう私の親族でさえも、主夫や男性の自由人をよく思わない可能性が高い。それは単なる否定だけでなく、育児=女性という性別分業の呪縛に基づく思考停止も含まれている。

これに対して自分の意思を貫き通すためにはかなりの覚悟がいると思われるが、それでも私は日本の従来の男性社会が築いてきた男の生き方に追従しようとは全く思わないし、そういう生き方をするくらいならこの場で首を吊った方が良いと思っているので、誰に批判されようが、お気楽に楽しく、気持ちの余裕を第一に生きていこうと思う。