スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

不機嫌注意報

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


試験の採点をしたとき、不合格になる可能性が浮上していた。70点を下回るほどに前半部のミスが多い。練習や過去問では9割近い得点ができていたものの、少し違う聞き方をされると途端に罠に引っかかる。問題ごと暗記してしまったのだろうか、じっくりと詰める勉強を頭が拒否していたのかもしれない。このような詰めの甘さは高校後半から出てきて、能力や科目どうのこうの以前に、頭でじっくり考えることを拒んでいる。日常生活でもそうかもしれない。どこかでじっくりと考えることを拒んでいる。新書を読む機会も減ってきている。繰り返しになるが、どこかでじっくり考えることを拒んでいる。

採点していて、以前であれば点数の伸び悩みにイラついていただろ うと思う。ただ今回は、合否云々よりも、ひたすら「イライラしないように」とだけ考えていた。点数が悪くても不合格でも、不機嫌になるのだけはやめようと。不機嫌になったら人間はおしまいだと。それくらい、機嫌が悪くなることを忌避している自分がいた。機嫌が悪くなることを極度に恐れている自分自身に気づいたのだ。それは私自身が人の不機嫌に怯えているからであり、不機嫌になったときの自分自身を恐ろしく思っていたのかもしれない。

引っ越しをした際にも自分自身や周囲が焦ったり不機嫌になったりしそうになる場面があった。私はその時も不機嫌に怯えていた。とにかくへらへらしなきゃいけないと自分に言い聞かせる。大したことじゃないじゃないか、と。それがどう した、と。とても必死だ。笑えてくるし、笑われるだろう。しかし今の自分には不機嫌が耐えられないのだ。人の不機嫌が。それは私の器の小ささを示しているのかもしれないし、寛大じゃないと非難されるかもしれない。それでも、仕方がないのである。不機嫌が怖くてどうしようもないのである。自分の不機嫌でさえ忌み嫌うのだから、他人のそれは計り知れないだろう。恐怖の度合いが自他逆かもしれないが、それはどうでもいい話だ。

結果的にもう少しで試験の合否がわかるが、大事なのは不合格になったときに不機嫌にならないことだ。それさえできれば、試験は不合格で構わない。