スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

怠惰を許さないのは誰か

あなたの隣に怠けている人がいたら、あなたはどう感じるだろうか。仕事をしない同僚、家事をしない家族、行事に参加しない同級生…集団の中で生活していると、どうしても人々の動きに差が出る。

シンギュラリティと呼ばれる技術革新で人間の働き場がどんどんなくなっている。IT支配層の一部企業に属する人間と、付加価値を失い市場で使い捨てされる人材に二極化することが想定される。機械化で人間の仕事はなくなり、介護や福祉教育分野が残されるものの、それらへの報酬が上がる見込みはゼロだ。限界までコストカットして現場は体調を崩してでも出勤しなければならない、追い込まれて自殺する、そんなことがまかり通っている。この国は経営者の横暴を許可したのだ。

生活保護バッシングが目立った。受給者の大半が生まれながらの環境や生まれたのちの運の悪さによってそうなっているだけなのだが、なぜかそれを自己責任で片付ける風潮が強い。不正受給や医療無償化を享受する一部の横柄な人間をメディアが取り上げ、それが市民感情にシンクロする。生活保護はインチキ・怠惰・甘え・金の無駄だといった無根拠な言説がまかり通る。

なぜ私たちは隣人の恩恵に敏感で、それを叩こうとするのか。その背景には何があるのだろうか。家庭を見てみよう。たとえば私の妹は外では一生懸命頑張れる一方、家では完全に怠惰になる。周りが家事を進めていても自分一人だけスマートフォンに夢中で、人が帰ってきてもただいまと声をかけることもしない。これについてどう思うかがこの話の身近な例だ。私はこうした妹の行動に対して苛立ちを覚えない。なぜなら、仮にそれを注意して働かせたとしても、妹は不機嫌になるし、そのことで家の空気も悪くなるし、何よりもやる気がない人間に無理矢理家事をやらせても完成度と精度の低いことしかしないことが明白だからである。自分が多少の時間とコストをかけて背負った方が明らかにメリットが大きいのだ。

これには反論がある。放っておいたら怠惰になるというものだ。果たして怠惰になるのだろうか。そもそも怠惰とは何なのか。家事をせっせとやることが望ましい生き方なのだろうか。世の中には家事をお金で解決したり、食事をすべて外食で済ませる人も多い。家で働かない妹だって、こういう生き方をすれば十分に生きていけるのである。スマートフォンに夢中になっている時間も、もしかしたらSNSで何か有益な情報を発信しているかもしれないし、それが誰かを楽しませているかもしれない。メルマガや広告を配信していれば収益を得ることも可能だ。怠けていると見える行為でも今は十分に仕事になるのだ。

失業者への現金給付や生活保護も同様だ。雇われてせっせと働かないとダメ人間になると誰が何を根拠に決めたのだろうか。ひたすら働いてきた団塊世代が今になって社会にこれだけ害悪をもたらしていることを考えれば、これまでの真っ当な生き方など、望ましい人格を醸成する上で何の役にも立たなかったことは明白だ。我慢して労働することの反動はすべて家庭や市民社会にぶつけられ、家庭内不和や暴力が顕在化し、監視が届かない学校を滅茶苦茶にした。むしろ、そうやって雇われ労働にこだわることこそ、経営者の怠慢を恒常化させ、社会全体で受容する価値観を固定化したのではないだろうか。二世議員や既得権者は平気で末端を搾取して利益だけを吸い上げている。そういうことは許容し、生まれながらに貧困な人間が少しでも怠けることは許せないのだとしたら、それは恐ろしい思考である。

遊んで暮らす怠け者やニート、引きこもりは果たして本当に働いていないのだろうか。ゲーム実況やネットで面白い記事を書くだけで、それを楽しんでいる人からすれば、有償無償を問わずそれを消費しているのである。消費することで心が豊かになれば、それにより消費されるものは生産物だ。人を搾取したり死に追い込んでまで見繕った既存産業の商品よりも遥かに価値があると思う。怠けていても経済的な他者依存をさせなければ人に迷惑をかけることはない。一方で、働くことで迷惑をかけるのは人間の宿命だ。ハラスメントや組織内の虐待行為はもはや犯罪そのものだ。だから組織解体とベーシックインカムによる再分配の必要性を私は感じる。

これだけ人間の使い捨てが起こっていてもなおかつ、このシステムを維持するために弱者側が相互監視を続けるこの国は異常である。海外のように権力者への怒りが起こらず、なぜか弱者同士で怒りをぶつけあう。あいつは有給を取りすぎだとか、あいつはいつまでもフリーターだとか、あいつは時間を守らないとか、あいつはサボっているとか、あいつは結婚や子育てをしないとか、それがあなたの貯蓄や家計、健康や人生にどれほど影響を与えるのだろうか。おそらく何も影響を与えないはずだ。社会はこうあるべきだという理想に縛られ、その理想に他人が同調しないことに腹を立てているのだとすれば、もはや病気である。組織が不確実なものになったにも関わらず、維持していかなければならない社会とは何だろうか。人口減少の何が問題なのだろうか。根本から考えずに、自分達が見てきた世代が絶対的に正しい社会だとするのならば、それはヘイトと奴隷を量産する工場そのものだ。

社会が許さないのではなく、あなたが許さないのだろう。
社会のためではなく、あなたのために他人を動かしたいのだろう。

社会と個人の好みを混同してはいけない。