スキゾイド雑記帳

人間害悪・人間リスクについての考察

中高年一番街

別館『スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争』も更新中です。 http://schizoid.hatenablog.jp/


ここ数か月で父の様子が一変した。口から出る言葉の大半がネガティブなものになった。寝る前には大きくため息をつき、一日のすべてがその悲観的なニュアンスで締めくくられる。テレビを見ては出ている人物や表現の一つ一つにケチをつけ、飲食店や商店の紹介を見ても悪いところを探すかのような発言を繰り返す。

祖父母の介護から解放されたのが2年前、鬱になり精神退化した両親を看取って相当に本人も感情が疲弊したのだと思われるが、その後、出来る限りのフォローをし、旅行に案内したりなど、毎日を楽しませるだけの工夫はしたつもりだった。好きな車も購入し、飲食を楽しむ機会も増えている。にもかかわらず、日に日にマイナス思考が強化されている。

介護の描写を見れば、自分もそろそろ死ぬだとか、施設に入った方がいいだとか、みんなに迷惑かけないように死ぬだとか、忘れ物をしただけで自分は認知症だとか、どれをとっても絶対に良い方向には考えない。欲しいものを買って食べたいものを食べても、何も楽しいことがないと日々の生活を悲観するし、好きなプラモデルのキットを長年集めても、それを開くこともなく、もうやりたいこともないから死んでもいいかななどという。

すべてが愚痴であり、試し行動であり、所謂かまってちゃん状態に陥っているのか、それとも、ポジティブな感性が一切なくなってしまっているのか、あるいは双極性障害なのか、判断が難しい。個人的には試し行動と愚痴の発散なのだろう と思う。興味があることもあまりないらしい。ただ受動的にテレビを見て、腹を立てたり文句を言っている感じがする。仕事も辞めたいといっているものの、いろんな理由で「自分は縛られている。辞められない」と話す。

人を褒めるのが苦手な様子も見られる。意地を張っているのか何なのかよくわからないが、母親のやることはすべて悪い方向に解釈し、母親がいないところで母親の愚痴を私に対してこぼす。それを私が聞いているのが父にとっての満足なのかわからないが、私がそれを制止するような反応をしたら拗ねるだけだろうし、子どもに否定されたと余計鬱になるかもしれないので、言いたいように言わせておいている。配偶者の悪口をいう親を見て、子供が結婚したくなくなると いうリスクが、父には想像できないようだ。

母に対しては意図的に変な態度をとるときがある。まず料理を絶対に褒めない。料理が出てきてもかける調味料のことばかり言及する。からしがない、わざびがない、しょうゆはつけた方がいいか、とりあえず一口食べてみるとか、おいしいと言ってみるということができない。それだけで作り手は全然違った気分になるのに、そういう「タダでできる善意」をしようという考えがない。妹も全く同じで、食事ではなくテレビに集中している。

自分は周りに振り回されてばかりだと人生を振り返る。じゃあ家族解散した方がいいんじゃないかと提案することはできない。そうすると、鬱になって死ぬというだろう。あくまでも、かわい そうな父、報われない父、不幸モードに入っている父の陶酔とストーリーを否定せずに聞き入れることが求められる。これは鬱になってからの祖父に似ている。

残念ながら母も父を尊重するタイプではない。自分の考えがスタンダードだという主張を曲げないので、自分のように生きることが正しいと思っているから、家にばかりいる父を批判する。「○○家の血が流れているから慎重だ」とか「鬱になりやすい」とか誰もがわかっていることを敢えて食事の場で口にする。それを指摘したところで相手が拗ねることは明らかで、何ら建設的じゃない会話と空気になることはここ数年で数十回も繰り返しているのに、学習しない。

母のダメ出し行為と父の調味料への執着はまった く同じ構造を持つ。昨日までのやり取りが蓄積されていれば絶対に避けるであろう言動を、この人たちはやめられない。感情の起伏によって発言を垂れ流しているだけだから、翌日にはどんな会話をしていたか覚えていないのだろう。私はそういうのをすべて記憶しているので、一度こじれた会話パターンには二度と陥らないように先手を打つ。

同じように、独身の叔母も高齢の祖母と共依存になっており、拗らせている。何の趣味も楽しみもなく、自分と母親の世界・秩序の維持に周囲の人間がどこまでも合わせることが理想の世界だと信じている。介護業者をバッシングし、自分が実母の介護の主導権を握りながら周囲の人間にダメ出ししたり行動にケチをつけたりすることが習慣になってき ている。この叔母もそうだが、褒めることが致命的に苦手だ。

この人たち中高年はとにかく自分が空っぽで、他人に一喜一憂したり、他人に依存することで自我を保っているのかもしれない。他人がどうであれ、健康で無事で生きていければあとは個々が勝手に楽しめばいい、という私のような生き方はできないのだろう。私の生き方が正しいとは言わないが、少なくともこの人たちは週に1回は自身の感情の起伏により場の空気を悪くしたりトラブルを起こしたりする。

子育て期に私など子供に対し「どうして兄弟なかよくできないの」と咎めていた私の両親。20年後には、自分たちが感情のコントロールができない人間になってしまった。そんな生き方をしながら他人や世界、 人生に不満ばかりこぼしているにも関わらず、私には世帯を持ち子供を残してほしいと思っているようだ。あなたたちが毎日イライラをぶつけている他者や世界やこの社会に、私は新しい生命を誘うつもりはない。人生を良いものにしようという意識を失った人たちに、子孫繁栄を求める権利はないのである。