スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人間=害悪、人間リスクについての考察。毎週月曜日更新。 別館=http://schizoid.hatenablog.jp/

例外とされた人々

エンタメ関係はほぼノータッチである。芸能にまったく興味がないからだ。そんな中、映画作品で1つだけ印象に強く残っているものがある。20世紀少年だ。大きな音が苦手なので映画館に行くことがない私は、テレビ放映時に作品鑑賞をするのだが、結局最後まで見てしまった数少ない作品だ。

個人的な感想にとどまるが、この作品が被害者論を私たちに考えさせるものであることはおおよそ確からしい。誰もが理想郷・良い時代と思われた成長時代の20世紀、終盤こそ傾き始めていたが、概ね終戦後は奇跡的な発展を遂げた社会で人々が豊かになり、平等の幸福を得たと解釈されやすい時代だ。という具合に、疑いの余地がなく固定され、今が悪い時代であると叩く際にもそのコントラストを利用しやすい点で、商品としての価値も兼ねそろえる時代だ。それはもはや枕詞レベルのものであり、最強のステレオタイプとして君臨する。

その裏で、最高の時代に最悪な人生を歩んだ人々が確かにいたということだ。人情がある時代と言われた昔もひどいいじめはあった。今よりも差別が露骨で、弱者の発言権はないに等しかった 。表面化する前の暴力・いじめ・虐待などは、被害者が泣き寝入り、我慢するしかなかったものが多かったはずだ。それらが認知されなかったがゆえ、だれにも気づいてもらえず苦しみ続け、いなかった存在にされた人は少なくなかっただろう。

天国のような場所の裏に地獄は確かに存在し、それが少数派であるときほど、渦中は悲惨であることが想像される。皆で幸せになるという言葉を発する人間はいつも幸せサイドにいる人間だ。偽善であると思っているし、私自身、自分がこうした思想や発言を残すことに気づくとき、おぞましい気分になる。

文明の進化はあれども、飽和時代の先には質量保存則が待っていて、誰かが利益を得ている陰で誰かが不利益を被っていると思う。金に余裕があるのにちょっとばかりのバーゲンやポイントに必死になったりする一方、稼ぐ知識も環境もなく餓死していく民族もいるわけだ。節約志向が美徳化され、おもてなしによる付加価値の無償化はブラック企業の蔓延を現実のものとし、相対する経済成長を求め、その最終要因を若者の消費意欲の低下とするマスコミ型の攻撃論に落ち着く。全員が幸せになれない現実に対し、ベーシックインカムくらいしか私は思いつかない。団体生活から解放することで救われる人間は確実に存在する。あらゆる人間関係トラブルのリスクは団体生活で発生し、ここが独立していればハラスメントもいじめも起こらない。所属を放棄できないから、生計を生贄として所属を強制されるから、逃げられないのだ。

20世紀少年におけるいじめも長期にわたるものだ。すぐに学校から逃げられず、とにかく「繰り返し」いじめられるのだ。繰り返しというのは悪魔だ、地獄だ。終わりがわかれば心を無にして耐えられることもあるだろう。犯罪行為などは別だが、悪口程度なら数時間で解放されるならまだマシだ。だが、毎日同じ苦痛を味わうとしたら、死を選ぶことも合理性を帯びた行動となってしまう。学校・会社・友達・家庭・親戚、生きるため、食べるために、人は逃げることが許されない。何かをやめることや休むことが死に直結するのだ。

そうじゃないという人はたくさんいるだろうが、そうじゃなければここまで飛び込み自殺は起こるだろうか。死が合理的な防衛行動となっている。そこかに所属しないと死ぬという強迫観念が、ブラック企業や違法労働、教育困難学校の淘汰を阻んでいる。とにかくしがみつく、オーナーは従属者を奴隷にし放題だ。学校や会社の場合は生徒や上司さえも閉鎖空間で勝手にオーナーとなり、マウンティング・虐待行為を行う。そのサイクルは永続する。

20世紀少年は苦しみ続け、消えた。エンディングはそれでも過去の修正描写によりすっきりした終わり方になる。しかし、結局は生き残った多数派がヒューマニズム・人間至上主義に酔いしれ、それらが肯定され、人間社会が続くこととなるわけだ。苦しんだ人、いじめられた人、死んだ人はあくまでも「例外」として処理され、強者がそれに納得する形で勝手に清算される。

20代後半になり、子孫を残すか否かの選択を迫られる場面もなくはない。何の疑問もなく子供を作り、順応している人 が周囲にもいる。彼らにとって生きること、生まれることはあまりにも当たり前で、それができない人は「例外」なのだろう。昔の友人知人も、こうした少数派に対する偏見をよく話していた自己責任という言葉が好きなタイプが多かった。

あるものをないものとして生きていくことがこの社会での正解である。何にも疑問を持たず、成長時代やバブルの模倣を貧困化で持続し、権力者に従い、長いものに巻かれることが正解とされる。つまり、20世紀少年に復習されるような生き方をすることが、正解ということだ。その正解をなぞるために生まれて、生きて、生命のリレーを維持し、繰り返してゆくのだろう。